土曜日の公園

 先日朝の散歩に近くの公園を訪れた時の光景である。土曜日の午前中だったからか、住宅地の中にあるその小さな公園では、子供を遊ばせに来ている親子たちが4−5組もいただろうか。休の日なので親子連れが多いのは当然だろうが、よく見ると、全てが父親と子供のペアで、母親が一人もいないことに驚かされた。

 芝生の坂を登ったり、滑り台を滑ったりして遊んでいるが、親と一緒なら滑るが、一人では滑らない子もいた。親子はくっついたり離れたりしながら、子供は公園内を勝手にあちこち行き来しているが、時々親を探しては近づいていた。

 だが、それを眺めていて、つくづく世は変わったものだなあと感じないではおれなかった。

共稼ぎが普及したこの頃は、想像するに、土曜日の朝は母親にとっては忙しい時間帯である。溜まった家事をこなしたり、洗濯をしたり、買い物にも行かなければならない。当然、子供は休日である亭主に預けて、面倒を見て貰うことになる。亭主の方も、以前なら付き合いゴルフにでも行かねばならなかった人もいたに違いないが、女房も働いておればそうも行かない。

 公園でなくとも、近頃は道で出会う父親が赤子を抱っこしたり、乳母車を押したりしている姿をあちこちで見かける。家族ぐるみのお出かけでも、父親が子供を抱き、奥さんが手ぶらだったり、買い物袋を持ったりしている姿も当たり前になっている。

 まだ戦前だった私の父親の頃は「男子厨房に入らず」が当然で、古武士のような印象を残していた父は一切家事には手を出さなかったし、外で夫婦が一緒に歩く時も、母親は一歩下がってついていったものであった。

 戦後になって男女同権と言われるようになっても、実態はなかなかついていけず、男は仕事女は家を守るという風習は経済構造によっても支えられ、一向に改まらなかった。一部の女性の活躍は見られるようになっても、依然として男尊女卑は続いてきた。

 それが国の人口減少、高齢化の時代となり、女性の労動力の助けを借りなければ、経済も社会も回らなくなって来て、女性が家から追い出され、労働力として動員されるようになり,社会は嫌でも男女同権の方へ進まざるを得なくなって来たのがこの頃の傾向である。

 理由はともあれ、折角、電化や合理化で、女性の家事にゆとりが出来て来たところに、今度は外での仕事を押し付けられて、また忙しく働かなければならないが、それに伴って、社会的にも男女同権を進めざるを得なくなって来たことも事実であろう。

 戦後間もない頃に、若い女性がアグラを描いて芝生に座ったのを見た時の驚きは今も忘れられないが、今では漸く社会的な男女同権意識も一般化し、人々の意識も変わって来たが、やがては同権の根拠となる経済的な裏付けが実質的な男女同権につながっていくことであろうと思われる。

 そんな変わり目に、男性の育児への関与が進む様子を見て、世の変化の一隅を楽しく見せて貰ったような気がしたのであった。