昔の日本を引きずって

 私が育った頃の戦前の日本はまだ貧しい国だった。昭和の初めの大恐慌の時には、東北などでは冷害も重なり、娘を女郎に売り飛ばさないと暮らせぬ農民が沢山出たものであった。

 小さな島国では当時の7千万もの人口を養えず、満蒙や南米への移民が奨励され、また南太平洋での真珠貝リン鉱石採取などの出稼ぎ者の仕送りまで含んで、どうにか経済のバランスを取っていた。

 当然、今の様な贅沢な消費生活は考えられもせず、貧しい生活の中では使えるものは端から端まで、とことん使うのが当然であった。米を収穫した後も、残った稲は天日に干し、蓑から草鞋、肥やしにまでフルに使われていたし、古新聞や包装紙、紐や輪ゴムなども大事に保存し、二度、三度と使われたものであった。ズボンやシャツ、靴下などの衣類も破れれば、つぎ当てをして再利用するのが普通であった。

 そんな中で、しかもあの戦中、戦後の物資不足の時代を経験した私は、身近な物は何でも大事に使い、また使えそうなものは大切に保存しておく習慣が身についてしまっていた。

 子供の頃にそんな時代を過ごした私は、戦後、日本が豊かになって、JAPAN as NO.1.と言われるようになってさえも、昔の習慣を切り捨てられず、何でも「捨てるのは勿体無い」と、とっておきたくなり、その名残は今だに続いている。

 何かに使われていて、手にした輪ゴムや綺麗な箱、包装紙などは使う予定がなくとも、どこかにとっておきたくなり、屋根裏の倉庫はそうしたものでいっぱいである。いわゆる輪ゴムは買った記憶がない。裏が白紙の新聞広告でもあると、小さく切ってメモ用紙にしたくなる衝動は今も抑えられない。

 まだ戦後の混乱が落ち着きかけた頃であったが、アメリカへ行って、まず驚かされたのは、使い捨て文化であった。日本ではまだ布巾でも雑巾でも、何でも何度も大事に使っていたのに、アメリカでは箱に詰まったティシューを取り出して、ちょっとした汚れを落としてたと思ったら、すぐそのまま捨ててしまう、キチンペーパーも同じである。使い捨て文化を目にして、びっくりしたものであった。

 確かに無菌とか、消毒が問題になるような場合には、真新しいものを使えば衛生的である。まだディスポーサブルの医療用品さえ、普及していなかった日本と比べると、なるほど金持ちの国は違うものだなと思ったものであったが、資源の無駄遣いのような気もしてならなかった。

 しかし、いつしか日本ばかりか、世界中に使い捨て文化が浸透し、今では資源の浪費が問題になっている。今の若い人達の美しい包装紙に包まれた贈り物などの開け方を見ていると時代が分かる。飾りをつけた紐を無惨にハサミで切り、包装紙をびりっと破って、ぐちゃぐちゃにし、目的の中の箱さえ開ければ良いといったやり方である。

 どうせ捨てられる紐や包み紙はゴミとして捨てられるだけなので、切ろうと破ろうと、それで良いだろうが、見ている私の方は、「何と残酷な!」と思わざるを得ない。綺麗な包装紙やリボンは見ているだけでも楽しいし、取っておけば、何かに再利用できる。包装紙にしろ、紐にしろ、綺麗なものをそのまま捨ててしまうのは忍び難い気がするのである。

 時代が違えば、その時の環境によって人々の行動様式も変わって当然である。こちらはただ「三つ子の魂百までも」で、昔の習慣を捨てきれないでいるだけである。ただ今の人たちがSDGsにも配慮してこの地球を大事に使ってくれる事を望むだけである。