原爆は平和な生活に落とされたものではない

 8月6日の原爆投下の日に合わせて、原爆に関する記事が新聞を覆っていた。非人間的な原爆攻撃については、たとえ戦時であっても許されるべきではないが、どうも原爆記事には何かが抜けているような感じがしてならない。

 原爆の被害のことばかり載っているが、被害があれば必ず加害もあるはずである。原爆が落としたのは誰か?日米戦争中で、本土空襲が繰り返され、日本国中が焼け野が原になり、沖縄も占領され、あとは本土決戦だと言われてきた時のことである。他の爆弾や焼夷弾と比べて何千倍もの威力があり、一発で多数の人々を殺傷する非人道的な爆弾であるが、その投下は一連の通常爆弾による爆撃の延長線上で落とされたものである。

 従って、当時アメリカでは、この原爆投下により戦争を早期に終わらせることが出来たという意見が多かった。このようにあまりにも大きい殺傷力のある爆弾は人道上からも世界的に禁止すべきものであるが、これは決して平和な生活をしている所へ落とされたものではなく、戦争中の一連の都市爆弾の続きとして落とされてたものである。

 戦争中の爆撃であるから、効果が大きい方が好まれるのは当然である。八十年前のギャラップ社の調査では、支持する人たちがが85%もあったことは驚くことではない。日本でも原爆に関した研究が進められていたそうであるから、もし日本が先に開発に成功していたら、必ずや日本軍がどこかで使用したであろうことも十分想像出来る。

 原爆だけを取り上げても、真に問題なのは戦争であり、原爆はその過程で起こったことである。アメリカでは、最近の世論調査(ピューリサーチセンター)でも、原爆投下を「正当化出来る」とした人が35%、「出来ない」が31%と拮抗している。それに対して、原爆犠牲者の側からは、「もう戦争は懲り懲りだ」というのが、圧倒的な願いである。

 ただ今回の米世論調査で、若い人たちでは原爆投下を「正当化出来る」とした人が27%に対し出来ない」とする人が44%となっていたのは、戦争を離れて、原爆の非人道的な実態を知る人が多くなったためであろうか。

 広島にしても、長崎にしても、誰が戦争中にどういう条件で、原子爆弾を落としたのかという議論抜きで、被害の大きさの伝承だけでは、原子爆弾の本質をつき、真に再発防止につながるか疑問である。