飢餓の時代を忘れるな!

 今回の米騒動に出くわして戦中戦後の飢餓の時代を思い出した。米の配給は一人当たり2合3斥、これでは食っていけないので、あとは各自で適当に補えというのである。小学校の校庭などは、どこも掘り返されて畑となり、サツマイモやカボチャが植えられた。法を守って本当に餓死した裁判官の話もあった。

 米飯だけで腹を満たすことは出来ないので、少しでも多く食べた感じがするように、おじやや雑炊にしてボリュームを増やしたり、芋や野菜などを入れ込んで食べたりした。楠公飯と言って見かけを多くする方法なども用いられた。

 勿論、それだけでは足らないので、あらゆる所にサツマイモやカボチャなどを植え、芋だけでなく蔓まで食べた。イナゴやバッタを捕まえて、鉄板で焼いて食べたこともあった。

 しかし、そんなことでは全く栄養は不十分で、その頃の人は大人も子供も、皆痩せて、肋骨丸見えで、そこに肘だけが飛び出した骨と皮だけのような細い腕がぶら下がっているのが普通であった。お腹だけが膨らんでいたのも”栄養失調”に特徴的だった。

 食堂などで外食するには「食料切符」と引き換えであったが、おじやを食わせてくれるので量が多いから少しでも満足出来るかもと、一駅隣の駅まで歩いて食べに行ったこともあった。

 また、その頃の列車運行は略めちゃめちゃで、車内は芋の買い出し客で超満員なのが普通だった。窓からしか出入り出来ないこともあり、網棚の上で寝たり座ったりする人もいた。そんな車中での何気ない光景だが、今も忘れられないのは、田舎の若者が竹の皮に包んだおむすびを開いて食べる場面であった。

 ただの白米のおにぎりだったのだが、当時のひもじい思いに悩まされていた人々にとっては目を見張る光景であった。その表面のみずみずしい、ピカピカした、美味しそうな輝きが何とも言えなかったのを今も忘れられない。当時は羨望を込めて”銀シャリ”と言われていたのであった。

 こんな状態のところへアメリカからのララ物資の援助だとか言って、牧畜用のとうもろこしの放出があり、飢えた日本人が喜んで食い繋いだこともあった。丁度、政府の古古古古米の放出のようなものである。

 日本は島国であるのに食糧の供給率は38%にしか過ぎない。それに現在問題になっているような米不足である。将来の米の自給確保も心もとない。足らなければアメリカから買うというが、主食の海外依存ほど危険なことはない。軍備ばかり増強しているが、海上交通が遮断されるだけで、忽ち国民は飢えに苦しまされることになるのは歴史の経験からも明らかである。

 何があろうが、主食の米ぐらい、しっかり国民に供給出来るようにして、何があろうと国民を飢えさせないのが国の国民に対する最低限の義務であろう。