戦争に負けて、帝国海軍もなくなり、焼け跡の大阪に引き揚げて、することもなく茫然自失しているところに、アメリカの占領軍がやってきた。日本では駐留軍と呼んで誤魔化した。
アメリカ軍がやってきたら男は殺され、女は強姦されるという噂さも流れていたが、占領は比較的平穏に進んだ。彼らは皆ジープに乗り、颯爽としてあちこち走りまわり、子供達にはチョコレートを投げ与えたりした。たちまち、占領軍の時代が始まり、焼け残ったビルなどは殆ど徴用されて軍用に使われ、日本人はOFF LIMITになった。日本の兵隊も警官も白衣で杖をついた傷痍軍人を残して姿を消してしまった。
また芦屋などにある豪邸などは接収されたところも多く、家族連れの住居として使われ、日本家屋の床柱や壁までぺンキを塗られた屋敷もあった。当時、芦屋の友人宅へ行こうとしたが、近くの接収家庭に飼われていた放し飼いの大型セパードに激しく吠え立てられて、近づけなかったこともあった。
占領軍の第一印象は、アメリカと旧日本軍のあまりにも大きな格差であった。「これでは勝てるはずがなかった」とつくづく思い知らされたものであった。体からして大男ばかりで、飢えて肋骨剥き出しの痩せた日本兵とは比べものにならなかったし、皆がジープであちこち乗り回している姿などは日本では考えられない光景であった。
それに大型ショベルカーやブルドザー、同じ戦車と言っても旧日本軍の小型戦車とは比べ物にならない様な大型戦車、B29の様な大型爆撃機など、兵器などの違い、それらの供給力の違いなどを知っては、これでは勝てるわけがなかったとつくづく思い知らされたものであった。
しかし日本政府さえ文句の一つも言えない占領軍である。政府に対しては窮状を訴えても、米軍には何も言えない。ただ黙って耐えるよりなかったのが当時の現状で、1960年の安保闘争には、その国民の意思が反映したものだったとも言えよう。