世間から遅れてしまう

 昔、自分がまだ現役で忙しくしていた頃には、九十歳も超えた様な老人はもう人生を通り越してしまった人たちで、一般社会から少し外れた所にいる様な感じを持ったものであった。

 ところが、実際に自分がその年になってみると、まだまだ社会には未練があり、政治や社会のあり方から、身の回りのことに至るまで、色々と気になって、批判したり、文句の一つも言いたくなるものである。

 しかし、実際には最早自らは何も出来ないし、社会から助けて貰うことの方が多い。文句を言ったところで、残り少ない人生の中で解決出来そうなことも少ない。黙って静かに社会の成り行きを見守っていくよりない。

 社会もすっかり変わってしまった。世はいつしかアナログの時代からデジタルの時代に移り、ITだのCHAT-GTPだのと言われても、もうついて行けない。それどころか、日常生活でさえ、人でなく機械相手にカードで支払いせねばならない。目も耳も悪ければ、スマホの取り扱いにさえ手こずることになる。長年お世話になってきたPhotoshopも高度化し、こちらが写真を止めたこともあって、もう十分には使いこなせない。

 社会の変化はそれだけではない。先日アメリカの孫たちがやって来た時、話の序でに、ブログを書いていると言ったら、忽ちその場でブログのありかを調べ、日本語で書いているのに、その英語への自動翻訳でもあるのか、しばらくスマホをいじっていたと思っていたら、忽ち英語でブログを読みだしたのには、ただ呆気に取られて見ているよりなかった。

 それに仕事といえば、殆どは仕事場へ行ってするものと思っていたら、3人の孫のうち職場に通っているのは新聞社の一人だけで、後の二人は、一人はグラフィックデザイナーで家で仕事をしているし、もう一人もフランスの会社の代理店の様なことをやっているのか、自宅でパソコンで仕事をこなしている様である。

 その上、今やトランプの関税政策に振り合わされて世界は何処へいくのかわからない。もう我々が仕事をして来た頃の社会は変わってしまい、今や、もう若い人たちには、体力的には勿論、社会行動的にも、ついていけない世界になってしまっているようである。若い時にはせめて先頭の方を走っている積もりだったのが、いつの間にか、もう一番後の集団にさえついて行けなくなってしまっているようである。

 百年近くも生きていたら仕方のないことと諦めざるを得ないのであろうか。