木炭自動車

 たまたま上の木炭自動車の写真を見て、昔を思い出し、懐かしさのあまり、つい保存した次第である。

 今やガソリン自動車から電気自動車へ変わろうとしている時代に、木炭自動車のことを持ち出しても、木炭バス、薪バスなどといったところで、もう知る人の方が少なくなってしまっているかも知れない。しかし私のように戦前の都会で暮らしていた者たちにとっては、上の写真などは懐かしい思い出の車なのである。

 戦前の日本ではガソリンが手に入りにくかったこともあり、1930年代末期頃から1940年代、戦時中にかけての日本では、殆どの自動車と言っても良いぐらい、木炭自動車が走っていたといっても良いかも知れない。バスばかりでなく、乗用車や貨物自動車でも木炭車が多かったのであろうが、私にとって馴染み深かったのは何といっても木炭自動車のバスである。

 今のバスよりずっと小型のバスで、後ろにガス発生装置を積み、水蒸気を出しながら走っていた。市営バスだったので始終利用していたが、エンジンの出力が弱いので、坂道などでは登りり切れないことがよくあった。そんな時には、「すみませんが皆さん、降りて押して下さい」と声がかかり、乗客が一斉に降りて、何人かの乗客がバスの後ろへ回って、バスを後方から人力で押す光景が見られたものであった。

 大抵、子供達も含めて乗客は皆が降り、バスを押さない者も少しでもバスを軽くして、坂の上まで押し上げ、上に着いた所で乗客たちが皆また乗車したものであった。今でもあの白金の坂を人々が車を押して登っていた光景が懐かしく思い出される。

 石油が手に入りにくかった日本では、石油の代わりに薪や石炭などを石油代用燃料使用装置なる焼却炉を車の後ろに積んで、一酸化炭素やごく僅かの水素ガスを発生させ、それをエンジンに送って動かしていたが、非常に効率が悪い上、発生出力も極めて低いので、ガソリンの普及とともに忽ち見られなくなってしまったのは当然であった。

 それでも子供の頃の経験はいつまでも残るもので、見れば思わず昔の風景が思い出されるのであった。