建築家になりたかった

 私の子供の時の夢は建築家になりたいということだった。小学四年生の時だったが、建築家だった母方の叔父が、自分の家を新築し、それが建築雑誌などにも載ったことがあった。親戚なので親に連れられてその家を見に行った。

 今から思えば、そんなに斬新な建築様式の家ではなかったような気がするが、新しい家で当時としてはハイカラだったのであろう。全てが新しかったことと、何故かその時、その叔父の「お使い」で、近くにタバコを買いに行ったこと以外はあまりはっきり覚えていない。

 ただその時の印象で、建築というのは良いものだなあ、自分が頭の中で考えたイメージが、現実の目の前に出来上がるのだから、こんなに楽しいことはないのではと思わされたようである。子供心にすっかり気にいって、以来、自分も大人になったらこんなことをしてみたいなあと思うようになったのだった。

 ところが私が育った時代が悪かった。丁度その頃から、日本は中国への侵略を始め、次第に軍国主義、戦時体制の時代となり、大日本帝国陸海軍が幅を利かせ、大和魂だの忠君愛国だのが叫ばれ、何も知らなかった少年はその真っ只中で育ち、教育され、大日本帝国の現人神の天皇陛下のためには、鴻毛の如く軽い臣下の命は捧げても当然とされていた時代の中で、死ぬ覚悟で帝国海軍軍人を目指すようになり、建築家の夢はどこかへ飛んでしまった。

 戦後になってからは、時代の急変に振り回され、長いニヒリズムの時代からようやく脱したものの、自分の心の葛藤から逃れるために心理や精神的なことに惹きつけられて医者になってしまい、建築家の夢など持つゆとりなどなかった。

 しかし建築家へのあこがれ、夢のようなものは心のどこかにあったのであろう。世の中が落ち着き、高度経済成長の時代がやってくると、色々な新しい建築を見る機会が多くなり、それとともに、次第にそれらにも関心が向くようになり、丹下健三から始まって磯崎新黒川紀章等等の斬新な建築を見なくてはおれなくなり、ことに関西出身で、近辺に作品の多い安藤忠雄の建築などはわざわざ足を運んで現地を巡ったり、行けない所の建築物なども新建築という写真の多い雑誌などを見てでいろいろな建築の情報を得ないではおれないようになった。

 つい先日もたまたま図書館で「一目見たら忘れられない世界の建築」とかいう写真集を見たので、早速借り出して家に帰って、初めから終わりまでページをくって楽しんだ。行きそびれたビルバオグッゲンハイム美術館やロスのディズニーの資料館、あるいは、あちこちのザッハ・トルテの建築などを楽しむことが出来た。

 もうこの歳では現地を訪れることは出来ないが、今も、せめて写真でだけでも、いろいろな新しい建築を見続けたいものだと思っている。