物心のついた頃からこれまで、戦後の混乱もあったが、何とか食い繋いでこの歳まで生きてこれた。しかしいつも同じように食事をしているような気がしているが、その内容もいつしか変わってきてしまっている。
家庭での食事に限ってみても、食べる物の内容も肉の多い洋食が多くなってしまったのは勿論、外食が多くなったなどの食べ方も変わってきたし、食事の道具立ても知らない間に昔とは違ってきてしまっている。
さして遥かでもない昔は、日常の食事の取り方も今とはだいぶ違っていたようである。農家などでは土間の上りがまちなどで、野良仕事の間に食事をするのが普通だったような所もあったようだし、武家の流れをくむ家などでは、主人や長男だけがお膳に乗せられた食事をし、妻や娘が近くに侍って、飯のおかわりをしたり、お茶をついだりと世話をしていたものだったようである。女子供たちは主人の食事が済むまで控えており、主人の食事が済んでから、そそくさと食べるのが普通だったと言われる。
私の子供の頃にはまだ使わなくなったお膳が仕舞われていたし、客人があった時などのもてなしにはお膳が使われていたのを覚えている。その伝統が旅館や料理屋などで戦後までずっと、お膳での客サービスが続いていたもとであろう。
庶民の間に食卓としての卓袱台(ちゃぶ台)などが出てきたのは、明治の中頃で、大正時代の関東大震災頃からお膳から卓袱台へ移って行ったようである。
高さが20〜30センチ、直径が60センチぐらいで、多くは折り畳み式で、食事の時以外は部屋の片隅に立てかけられていたようである。旦那が怒って「ちゃぶ台をひっくり返す」などというのもそれからのことであろうし、その陰でお膳が消えて行ったのであろう。
さらに戦後の生活の洋風化とともに、生活の仕方も変わり、畳の上に座る生活から椅子に座ることが多くなるとともに、もう今では一般家庭でも、食事は食卓でするものと決まったようなもので、お膳も卓袱台もすっかり姿を消してしまった。
また、お膳とともに、近頃すっかり消えてしまった物にお櫃がある。まだ使っている所もあるかも知れないが、昔はお米は炊き上がったら、お櫃に移して保存し、食事の時には、そこからご飯を茶碗によそったものだったが、電気調理器が炊くことから保温まで、全てしてくれるようになって、お櫃もすっかり見られなくなってしてしまった。
もう一つ小さな物だが、食卓用品で消えてしまった物に箸箱がある。今でも学校や会社に持って行く弁当には箸箱に入れた箸をつけることが多いだろうが、以前は家庭でも、各自が食事の時に使った箸はお茶などですすすいで、自分の箸は自分の箸箱に入れて片付けたものであったが、そういう習慣も今は無くなったのではなかろうか。スーパーやコンビニなどでも、今時、箸箱を見ることはまず無くなってしまっている。