星のない夜

 もう長い間、夜空に星を見なくなってしまった。昔あれ程輝き、夜空のロマンを作ってくれていた星たちが見えなくなってもう久しい。地上の夜の光が多くなって見えなくなってしまったと思っていたが、歳をとって視力が衰えたことも関係があるのかも知れない。

 若い時には晴れた夜空には無数の星が瞬くのが普通であったが、それがいつしか消えてしまった。星のない夜空が悲しい。見えるのは月と金星だけである。

 小学生の頃は晴れているのに星のない夜など考えられなかった。月が出ていれば星もあり、その下に季節の風景があったものである。太陽が出るのが東で 沈むのが西。それと直角に南北があり、北極星のある方向が北だと教えられた。

 北極星の見つけ方としては、北の空にいつも輝いている七つ星、北斗七星の最後の二点を延長した線を引き、それと少し離れた所にある明るいW型の星、カシオペア座の大きい方の角度の窪みの二等分線を引いて伸ばし、両者が交差する所にあるのが北極星だと教えられた。北極星というからどんな素晴らしい星かと思っていたら、何だ2等星でよく見ないとわからないぐらいの星でガッカリしたものであった。

 しかし、これが星座に興味を持たせてくれたことも確かであった。冬になると寒空にいつも光っているのがオリオン座ということも覚えた。凍てつくような冬空にはいつもこの星座が光っていた。寒ければ寒いほど輝いて見えたものであった。明るい四つの星に囲まれた中に、それより小さな星が三つ並んでおり、上等兵星と言われたりしていた。

 戦争中までは「新兵さんはかわいそうだねまた寝て泣くのかね」というざれ歌が流行っていたが、冬の寒空の中を夜の歩哨に立たされた新兵さんが、あのオリオン座を見上げては、辛い運命を嘆いていた像を想像したものであった。

 戦後の長い人生の間でも、寒い北風に吹かれながら夜空を家路を急ぐ時などに、時として寒さの象徴のようなオリオン座を見上げて身震いしたことも思い出される。ただ都会の中での生活では、ゆっくり夜空を眺める機会も少ないし、星とは関係の薄い日々が続いたと言った方が良いかもしれない。

 そこへると来、夏は涼しくなった夜空をつい見上げたくなる機会も多くなる。星を眺める機会も増える。夏の夜空で最も心惹かれたものは蠍座(さそりざ)であった。夏の夜空の南の果てに巨大な蠍が這いつくばって見える姿は巨大で、それが南の地平線に見え隠れするのが何とも夢を誘ってくれたものであった。

 南といえば南十字星を忘れてはならない。オーストラリアやニュージーランドなどで見たこの星の輝きには何だか夢があった。今もキャンベラの正月に、橋の袂で見たこの星の姿は忘れられない。

 しかし、今ではもう星の話は全て夢の中の話となってしまった。もう晴れた夜空には、いくら見ても見えるのは月と金星だけである。もう一つ星が見えると思ったら、動いており、伊丹空港に降りて行く飛行機の明かりということにもなる。

 もう一度あの懐かしい満天の星空を見てから死にたいものだがと思うようになった。