毎年8月になるといやでも戦争のことが思い出される。しかし、敗戦であれだけ酷い目にあったのに、日本人は過去を総括したがらないのか、あの戦争の名称さえ決まっていない。
アメリカの呼称をなぞって「太平洋戦争」などと言われることが多いが、それではあの戦争の半分しか指していない。そもそもの戦争の始まりである日本の中国大陸への侵略がすっかり抜け落ちてしまう。この中国への侵略が米英相手の太平洋の戦争の原因だったのにである。
私が生まれたのが昭和3年(1928年)であるが、その年の6月には中国の東北地方(満州)で当時の支配者であった張作霖の乗った列車を日本軍が爆破して殺害し、昭和6年(1931年)には日本軍が満鉄の線路を爆破した柳条湖事件を起こして、満州事変と称して、中国東北部を占領し、昭和7年には満州国という傀儡国家を作り、上海事変も起こしたが、それがそもそもの長い戦争の始まりであったのである。
以来日本軍の中国侵略は続き、昭和12年7月には今度は盧溝橋事件をでっちあげ、ついに中国との全面戦争となったのである。日本軍は北京や上海から武漢三鎮まで占領したが、中国は降伏せず、重慶に遷都し、日本軍の無差別爆撃にも耐え、長期戦となった。それでも「戦争」と言わずに「事変」として通していたのにも意味がある。
それとともに、世界の趨勢から外れ、ドイツやイタリアと枢軸同盟を結んだが、ABC援蒋ルートで中国は助けられ、アメリカは石油や鉄鋼などで経済的に日本を締め上げ、ついに真珠湾攻撃に結びつくことになったのである。
この前半を無視して日米の戦いのみに矮小化してしまって「太平洋戦争」と言ったのでは、戦いの本質がわからなくなってしまう。当時、日本は「大東亜戦争」と言っていたが、敗戦でその名は消え、ただ「あの戦争」といえば通じるので、誰も強いて戦争の名前を挙げる者もなく、どうしても必要な時には、アメリカの言っていた「太平洋戦争」と言われるようになったようである、
「太平洋戦争」といえばアメリカとの戦争だけになってしまい、前半の中国への侵略戦争が曖昧になってしまうので都合が良かった人もいたからであろうというのは考え過ぎであろうか。しかし、その時を生きていた人間としては、長期にわたる中国大陸への侵略戦争が元であることを忘れることは出来ない。
この戦争の名称については「大東亜戦争」という大日本帝国に結びつく名は使いたくないし、「太平洋戦争」と言ったのでは、戦争の一部しか伝わらない。「第二次世界大戦」では意味が広すぎる。仕方がないので中国侵略から数えて「15年戦争」などとも呼んでいた人たちもいたが、的確な呼称はなかなか難しい。その内容の表すには「東アジア・太平洋戦争」ぐらいが良いのではなかろうかと思うがいかがなものであろうか。