過剰包装

 父の日の明くる朝のことであった。新聞を取りに玄関を出ると。すぐ横にアマゾンの箱が置いてあるではないか。先日までニューヨークに住んでいる長女夫妻が来ていたので、彼女が頼んだものが遅れて届いたものだろうと思って取り入れた。

 娘は日本に来る毎に、日本では何でも安いので、いつもAmazonで買い物をして、家に届けさせているので、てっきり注文が遅すぎたか、何かの事情で、もう帰ってから後に品物が届いたのだろうと思っていたが、よく見ると宛名が私になっているではないか。

 そう言えば、父の日のお祝いを送ったという様なことを言っていたのを思い出した。しかしそれにしても、35✖️25✖️20センチぐらいのAmazonの箱である。いつもはたいてい色々なご馳走を選択出来るカタログを送ってくれるのに、今回は大き過ぎるではないか。

 一体今度は何を送ってくれたのだろうか。Amazonの箱を開いてみると、詰め物の下から紙で出来た書類入れの様なものが出てきた。その中を開けると、薄いしっかりした箱が収められており、その中から色々な食品を選べるギフトカードが出てきた。

 ギフトカードを入れた箱はデパートの商品券入れのケースと変わらぬぐらいの大きさの薄い小さな箱である。どうしてこんな小さな箱をこんなに大きなAmazonの箱に入れなければならないのだろう。恐らく、ギフト券発行者は小さな箱だけでは目立たないので、少し大きめの書類入れの様なケースに入れて存在感をアピールしようとしたのであろう。

 ところが、配送業者であるAmazonでは徹底した合理化を行なっているので配送用の箱も規格が決まっており、小さなギフトカードを入れた箱も、書類入れのようなケースに入れられたばかりに、そのケースの入るアマゾンの規格の箱ということになれば、この大袈裟な箱にならざるを得なかったのであろう。

 梱包や配送を徹底的に合理化し、全てを自動化して効率を上げようとすると、規格外の例外は許されない。すべたが合理化され、無人で動ける様にすれば、効率化は進むが、無理やりそれに合わすためには思わぬ無駄も飲まねばならない。

 世は一方ではSDGsなどがしきりに言われているが、一方では大量処理、合理化、効率化などが強引に進められている。そこでは必ず規格はずれのものの処理という問題が生じ、このような資源の浪費を伴うことにもなるのである。本当にSDGsなど成功するのだろうか。甚だ疑問だなあとふと思った。