五月は例年一番良い季節で、ゴールデンウイークの休みもあり、人々が一年で一番外へ出かける機会の多い月ではなかろうか。私も同様だったような気がする。
ところが今年は、正月が明けた頃から始まった血小板の病気で、身体中のあちこちに紫斑やら小出血斑が現れ、粘膜の出血もあり、次第に貧血も進み、動き廻るどころでなく、意気消沈して、5月7日から21日まで入院させられてしまっていた。
そのため、今年は旅行どころか、いつも行っていた近くの五月山公園の藤棚や水月公園の菖蒲にもお目にかかからないうちに五月が済んでしまった。毎月のクロッキーの会にも行けなかった。もう六月である。春を飛ばして夏になってしまった感じである。
しかし、入院加療のおかげで、血小板の数値も徐々に増え、紫斑や出血班が消えて皮膚がすっかり綺麗になり、貧血も少しずつ改善されて来たようで、自覚的にも、次第に元気も取り戻してきたのだから、そんな贅沢を言っては申し訳ない。
入院当初は、毎日の長時間にわたる点滴や輸血などが続き、まだ体もえらかったし、殆ど一日中ベッドで寝たり起きたりのような生活だったが、薬が効いて徐々に体も回復し、元気になって来ると共に、もう一日中何もしないで病室でじっとしているのが苦痛になって来た。そうなると病院ほど退屈な所はない。囚人として閉じ込められているような気分である。
朝起きてから朝食の来る前に病棟の廊下を2周も3周もそっと歩いたり、午前も午後も病院の配慮からか理学療法士のリハビリまでしてもらっていたが、それでも勝手なもので、痛みも苦しみもないのに一日中病室に閉じ込められているのが退屈で苦痛になってくる。
こういう時こそ何か書くと良いのだが、パソコンなしではそれも出来ない。娘が気遣ってi-padを買ってくれたが、初期設定がうまく出来ず、それも使えない。新聞は毎日のように家から一日遅れぐらいで届けられたが、短時間しか持たない。あとは読書だが、急に入院したので書斎のどこにどんな本があるのか伝えようがない。
幸い、そのうちに時間のある時にでも読もうと思って買っていた上下2冊になったホモサピエンスの歴史の本を机の近くに置いたままだったことを思い出し、それを持って来て貰うことにした。いつもなら纏まった本はなかなか読む時間の工夫が難いのだが、こういう時にはうってつけである。2〜3日でたちまち読み終えてしまったが、本当に有り難かった。
入院のため外の五月の世界は失なわれたが、病が良くなり、命拾いして、おまけに本が読めたことを有難かったと思わなければバチが当たるであろう。