”不逞老人”

 ”不逞老人”と言えば、鶴見俊輔のことを思い出すが、(鶴見俊輔『不逞老人』(ききて黒川創河出書房新社))そんな腹の座った老人の話ではない。

 今や老人大国のニッポンでは、鶴見俊輔などとは違って、万事、お上におまかせのジジババが多いようだが、ただ、もう誰にも頼らず、一人で好きなように気の向くままに、一人で行動している元気な老人をも、あちこちでよく見かける。そういう老人を密かに”不逞老人”と呼んでいる。

 歳の頃は60代後半から70代ぐらいの人達であろうか。いわゆる「前期高齢者」に分類される人たちが主なようである。会社の定年が伸びたとはいえ、65歳を超えると多くは組織から追い出される。一方、80代ともなると、人によるばらつきは大きいが、暇はあっても体が衰えて、あちこち元気に歩き回るには体力不足になる人が多くなる。

 この前期高齢者の時期は、仕事は無くなり、やれやれ肩の荷は降りたが、まだ元気だし、経済的にも先行き不安にしても、退職金などで、当座はまだいくばくかのゆとりもある。多くの人たちにとっては、青春時代以来の、久しぶりにゆとりのある人生の最高の時ではなかろうか。

 世知辛いこの国では、政府はこの少子高齢化の時代を乗り切るために、そんな老人を遊ばせておくのはもったいない。元気なのなら安い給料で働かせようとするが、そのような事を許してはならない。長い間、社会のために貢献して来た人々である。折角、仕事が済んでやれやれと思っているのだから、ゆっくり休ませてあげるべきであろう。それが社会の礼というものであろう。

 それなら、これらの老人たちは、どうすれば良いのであろうか。まだ元気なので、時間が出来たからといってじっと休んでばかりはおれない。そうかといって、長い現役時代を通じて細々とでも続けてきた趣味などを持っている人は良いが、仕事にすべてを捧げて過ごして来た人にとっては、時間が出来たからといって、急に色々なことが出来るわけではない。運動にしても、文化的な趣味にしても、そこに入っていくには抵抗を感じざるを得ない。

 しかし、歩くことなら誰にでも出来る。特別な技能もいらないし、お金もかからない。歩いて何処かへ見物に行くも良し、山や海などに遊びに行くものも良い。ただし、遠くまで足を伸ばすのは時には良いが、費用も掛かるし、そればかりに時間を費やすわけにもいかない。

 老後の、先のことを考えれば、そう贅沢な浪費も出来ない。毎日一日中家にいても退屈だし、煙たがられる。そうしたことを考え合わせると、お金もかからず、健康維持にも良いのは近くを歩くことである。気分転換にもなるし、近くの見聞を広げることにもなる。近くだけでも、探せば結構未知で興味深い所があるものである。その時の体調に合わせての調整も容易である。

 こうして、近頃は何処へ行っても元気な「不逞老人」に出くわすことになる。大抵はラフな格好で、リュックを背負い、野球帽などを被り、必ずと言って良いほどペットボトルを携えている。さっさと元気に歩いているかと思えば、あちこち、うろちょろしているのが普通である。こんな所にまでといった所でも見かけることがある。

 若年寄りの”不逞老人”たちよ、人生は一度しかない。元気なうちに、せいぜい愉しみ給え!