また靴がない夢を見た

 どうして何度も靴のない夢を見るのだろう?

「戦後」がまだ残っていた頃には、何処かで、靴を脱いで上がった後に、用が済んで帰ろうとしたら、上がり框に沢山の靴が脱ぎ捨ててあり、自分の靴を探すのに困ったり、他人に間違えて自分の靴を履かれたりしたことがあり、間違えられないように脱ぐ時に、ハンカチを靴に忍ばせたりしたこともあったが、最近は靴を脱がねばならない場所も減ったし、何処でも、脱いだ靴の管理も良くなったので、脱いだ靴がなくなって困ったようなことは先ずなくなった。

 それにもかかわらず夢の中では、最近も靴がなくなって困った夢を繰り返し見たのはどうしてだろうか。

 最近、私が一番よく見る夢はトイレを探す夢だが、これは老人になって増えた夜尿のためとすぐ判るし、夢で目が醒まされれば、現実にトイレに行くことになるので理解しやすいが、

靴の夢はどういう無意識下の願望なり葛藤の現れなのであろうか。心理学的には深層でな何らかのつながりがあって夢として繰り返されたものであろうが、どういう関連で出て来たものかは不明で、はっきりしない。

 それはともかく、夢の中のストーリーはこうであった。何処かの鄙びた昔風の料理屋か何処かのような感じの所であった。上がり框のような所に色々な靴が雑然と脱ぎ捨てられているのである。帰ろうと思ってそこへ来たのだが、見た所、何処にも自分の靴がない。上がり框の縁側の下の土間にまで脱ぎ捨てられた靴が散らばっているのだが、覗いてみても自分の靴は見当たらない。

 店の人なのか、中年のおばさんがいて、一緒に探してくれるのだが見つからない。結局、自分に合うサイズの靴の残り物は、人工皮革のような靴で、ズックに近いような安物が一足あるだけである。その日は茶色の革靴を履いて行って、そこで脱いで上がったことは確かなのである。

 それでも、どう探しても、利用出来る靴はその安物一足しかない。おばさんも気の毒そうな顔をするが、無いものは無いで、どうすることも出来ない。兎に角、その安物の靴を履いて帰るより仕方がない。困ったなあ、どうしよう・・・。そこらあたりで目が覚めたのか、夢は終わったようで、そこから先の記憶はない。そんな夢であった。

 もうひとつの何日か前に見た靴の夢はこうだった。何処かの昔の屋敷風の家で、何かの催しがあり、靴を脱いで上がったのだが、帰ろうとして玄関へ出たところ靴がない。土間には見当たらないし、下駄箱にも入っていないない。庭の方から廊下に上がったのだったかも知れないと思って、座敷を横切って縁側まで見に行ったが、そこにも見当たらないというようなものであった。

 今はもう忘れてしまっているが、ずっと昔に靴が見つからなくて困ったことがあって、それが潜在的に記憶の何処かに残っていて、それが今になって夢に出て来たものか、或いは、他の何かの葛藤が形を変えて夢の中で靴の紛失となって現れたものなのか不思議である。

 夢占いの好きな人だったら、色々想像を逞しくするところかも知れないが、今は単なる夢の中の偶然の現象として、素直に受け留めておくより仕方がないと思っている。