阪神大震災から28年

 1月17日は阪神大震災の起こった日である。まだつい2〜3年ぐらいの前のような気もするが、実は1995年のこと、もう28年も以前のことになる。

 その丁度一年前の一月にはロスアンゼルス地震があり、現地で生まれたばかりの初孫が大丈夫だったのか気になって連絡したのでよく覚えている。その孫が今や29歳で、新年と誕生日を兼ねた派手なパーティの様子をインスタグラムに載せていた。

 それはさておき、阪神大震災は、忘れもしない朝早くの出来事であった。その頃から早起きだった私は、丁度、朝食を食べ終えて、まだ食卓にいる時であった。突然の強い揺れに瞬時じっとして様子を見るよりなかったが、すぐ横のキチンの食器棚の観音開きの扉が開いて、棚のグラスや皿が雪崩の如く次々と床へ落ち、割れだしたが、ダイニング・テーブルとシンクのバーに遮られて、近づくこともで出来ない。ただあれよあれよと見ているしかなかった。

 やがて揺れが止まり、ダイニングに続くリビングの方に目をやると、ピアノが2〜3センチ横へずれ、それに押される格好で、テレビや家具も横へ動いていたが、その上に載せてあった額や飾り物は一つも倒れたいなかった。キチンの食器棚と丁度直角方向になっていたので、地震の揺れの方向で横に揺れたが、上に載せた物は倒れなかったのであろう。

 揺れが落ち着いてやれやれと思うと、外で水の音が聞こえる。雨が降っているのかと思ったが、キチンのドアから外に出ると、温水タンクから水が漏れて、とうとうと流れているではないか。

 水を止めなければと思ったが、水道の元栓がどこにあるのかわからない。地面にあるマンホールのような蓋を2〜3開けてみたが、下水の流し口であったりで、元栓がどこかわからず、そのまま様子を見るより致し方なかった。

 2階へ上がって書斎へ入ると、こちらがひどかった。もう棚からあらゆるものが落ち、本棚は傾き、足の踏み場もない有様であった。

 それでも、後で別宅のマンションに行ってみると、当時書庫として使っていた一室は最悪であった。4列に並んだ書棚は全て傾いたり、潰れたりし、潰れた書棚が壁を突き破り、一部の書棚の扉のガラスも割れ、書棚の間は落ちた無数の本で埋まり、もう手のつけようもなかった。片付けるのが大変で、1ヶ月以上もかかった。それを機会に書庫を解体し、医学書などは殆ど処分してしまった。

 それでも、家は大丈夫だったし、被害は幸い軽く済んだ方だが、割れ物や、壊れたものの片付けが大変だったことを覚えている、割れ物を捨てに行った時、やはり割れ物を捨てに来ていた近所の人が、「良いものばかりが割れるものですね」と言っていた言葉を今も覚えている。

 全体の被害については、報道された通りで、阪神高速の高架道の倒壊、神戸の三宮商店街の屋根、阪神電車の車庫、伊丹の阪急駅舎などの崩壊など数えきれないぐらいだったし、大勢の死傷者が出たことなども忘れられない。心からのご冥福を祈りたい。

 そのおかげで、色々な会合も中止になったり延期されたし、この後からサラリーマンなどにも、リュクサックが流行り出したことなどが思い出される。この阪神大震災の後に2011年には東日本大震災が起こり、津波原発事故まで起こったので阪神大震災も影が薄くなった感じもあるが、我々にとっては身近に怒ったことなので忘れ難い。

 次は東南海地震だなどともも言われているが、こればかりは人力でどうにもなるものではない。「地震、雷、火事、親父」はやはり、今も、出来れば避けて欲しいものである。