12月8日を忘れるな

 もう今頃の若い人には、12月8日はどういう日なのか聞いても分からないであろうか。日本はアメリカと戦争をしたの?と聞いた人もいたという時代である。しかし、私のような戦争を経験した者にとっては、8月15日と共に忘れ得ない日なのである。

 その朝、当時はまだラジオしかなかったので、ラジオで放送された。軍艦マーチが流された後、「大本営発表大本営発表、今朝未明、帝國陸海軍は西太平洋において、米英両国と戦闘状態に入れり」と繰り返された。

 まだ寝床の中にいた私は思わず身震いして聞いたたのを今でも覚えている。いよいよ来るべきものが来たなと、身の引き締まる思いがした。それまで1937年以来の中国での戦争が行き詰まり、ノモンハン事件での敗北も密かに伝えられていたし、そこへ今度はアメリカやイギリスとの戦争である。

 それまでに見てきた地球儀で、日本が如何に小さな島国であり、アメリカが海の向こうの大きな大陸であることも知っていたし、絵葉書でニューヨークのマンハッタンの高層ビル街も見ていたし、アメリカの自動車文化や巨大な産業などについての話も聞いていた。それまで外国人といえば殆どアメリカ人を意味していたし、アメリカやヨーロッパが日本より先進国であることも分かっていた。

 開戦より前のこと、いつだったか覚えていないが、名古屋の祖母が「あんな大きな国と戦争をして何が勝てるもんかね」と言ったのに対して「何を婆さん言っているのか」と腹を立てたことは何処かで書いた通りだったが、それまでの中国戦線では勝っていたにしても、今度はそんな文明の進んだアメリカやイギリス相手の戦争になる。万世一系天皇を頂いた日本は神州不滅、当然必勝ということになっていたが、本当に勝てるのだろうかという不安も背景にあっての身震いであったのであろう。

 それだけにハワイ真珠湾攻撃マレー半島コタバルへの上陸作戦、香港陥落、シンガポール陥落、昭南と名前を変える、イギリスの戦艦プリンスオブウエールズの撃沈などあたり迄は、行け行けとばかりの勝ち戦だったが、そのうちにミッドウエイ海戦での敗退、アツツ島玉砕、ガダルカナル島転進と負け戦が続き、やがてはフイリピン、サイパン硫黄島陥落、遂には本土空襲、沖縄戦原子爆弾などとなり、遂に1945年8月15日の敗戦となったのである。

 その後は、9月になると、アメリカ軍の占領、焼け跡、餓死、浮浪児、闇市といった悲惨な戦後の時代となり、「日本人は精神年齢十二歳」、「三等国」だと馬鹿にされ、アメリカは日本か中国かどちらをアジアの拠点とするかを思慮し、日本の残存施設を中国へ持って行って、蒋介石を助けようという案もあった。

 日本は憲法で戦争を永久に放棄し、アメリカの属国とされたのであった。その後の経過は歴史の示す通り、朝鮮戦争で事情が変わってしまって、今日のようになっていくのである。

 その挙げ句の果てが、今日の再軍備、軍備増強、敵基地先制攻撃まで、アメリカ追随ということになったのである。この惨めな国の間違いの初めがこの1941年の12月8日だったのであろ。