先日、宝塚の近くにある「あいあいパーク」とかいう花や園芸用品を扱う小さな公園のように造られた店に行った。もう何年も前から、時に訪れて花を買ったりしたことのある場所なのだが、ここ何年かはコロナの流行などもありご無沙汰していた。
たまたま新聞の広告でバラの売り出しなどがあるのを見て、懐かしく思い、気候も良いし、コロナも下火になったので、散歩がてらに久しぶりで訪れた。1日の寒暖差が大きいので、上着を羽織り、脱いだ時に入れる小さなリュックまで用意して出かけた。
「パーク」は以前と少し変わっていたが、天気も良く、クラシックな西洋風の建物を真ん中にして、四方の庭や中庭が花園のようにになっていて、色々な花が飾られ、売られている。土曜日だということもあり、若い子供連れの来園者が多かった。
天気も良く案の定、時間と共に暑くなったので、庭のベンチで休んで上着を脱ぎ、色々なバラや多くの花や苗木を鑑賞し、園内にあるベーカリーで小さなパンを食べて帰宅した。
そこまでは、快適な秋の半日だった。ところが、帰ってから持ち物を整理する段になって、鍵がないことに気がついた。家の鍵から、勝手口の鍵、別宅の鍵、金庫の鍵まで、平素使う鍵を全てまとめて小さなポーチに入れていたのだが、そのポーチが見つからない。
戻ってきた際には、女房の鍵で入ったので問題はなかったのだが、鍵がなければ、今後、家にも入れない。日常生活が成り立たないことになる。さあ大変だ。持ち物を再び念入りに探し直したが、どこにもない。無くした物が他のものであればともかく、鍵の全てとあらば、簡単に諦めるわけにはいかない。あとはその日の行動を思い出してみるよりない。
出かける前に、そのポーチを小銭入れと共に、上着の脇のポケットに入れて行ったことは確かである。一緒に入れた小銭入れはそのままある。思い返せば、パークで上着を脱いだ時が問題である。
上着を脱いだ時に、内ポケットに入れていた定期入れを、帰途の乗車の時のことを考えて、ズボンのポケットに入れ直したのは確かで、帰宅後もそのままあった。その定期入れを入れ替えた時に、鍵入ポーチも家に帰った時のことを考え、上着からズボンに入れ替えたような気がする。
ただ、ズボンのポケットに入れようとした時に、定期入れと一緒になるので、一旦入れた鍵ポーチを取り出して、ズボンの何も入っていない後ろのポケッっトに入れ替えたような気がする。ところが家に帰った時にはそこは空っぽで何もなかった。
さあ大変だ。入れ方が悪く落ちてしまったのかも知れない。背広をリュックに入れるのに、少し手こずっていた時に、すぐ横にある洒落た庭小屋風の建物が目につき、そちらに気を取られ、リュックに入れ終わるなり、立ち上がってそちらに向かったので、その間、周りを確かめもしなかった。
その後はずっと歩いていたので、尻のポケットからポーチが落ちる可能性は先ずない。あるとすれば、座っている時に何かの弾みでずり落ちることがあるかも知れない。そうとすれば、パン屋さんか、帰りの電車で座った時しかない。
もう一度着ていった服やズボン、リュックを念入りに探しても見つからない。もう諦めるよりし仕方がない。あとどうするか。スペアキーから複製の出来るものもあるが、出来ないものもある。その段取りも考えなければならない、
しかしその前に、念のために、出来ることだけは全てしておくべきであろう。「あいあいパーク」の電話番号を調べ、電話して、もし見つかったら知らせて貰うよう頼み、パン屋さんにも電話で頼み、阪急電車のメールでの忘れ物検索依頼にも記入して送った。
もう後はすることもないが、夜になってベッドに入ってからも、色々思い巡らしてなかなか寝付けない。ズボンの尻ポケットに入れたとして、座ったからといって、そこから落ちる可能性は極めて少ない。それより一番可能性の高いのは、上着をリュックに入れた前後に、落としたか、置き忘れたかではなかろうか。その時の鍵ポーチの取り扱いにあやふやの点が多い。
隣の小屋に気が取られていて、黒いポーチに黒いリュック、こちらの目も悪いので気が付き難い。その時にでも落としたのかも知れない。小さなポーチなので、落としていても人は気がつき難いだろうし、気がついても無視される可能性もある。パークからの連絡を待つより、翌朝、開店早々にもう一度行って現場を確かめるのが良いのではと思いつつ寝ってしまった。
翌朝になって、もう一度そこへ行くべく用意をしたが、行く前に念のためと思い、もう一度リュックなどの前日の持ち物をチェックしてみることにした。今度はリュックを空にして、中をひっくり返して調べた。そうしたらどうだろう。リュックの底に入れていた洗面道具などを入れた袋の折り畳まれたような隙間からポーチがこぼれ出てきたではないか。
前日から3回もリュックをチェックしたのだが、ずっと入れっぱなしになっていた袋なので、外まで出さずに、手探りで調べただけだったのがいけなかったようである。兎に角、思いもかけずに鍵ポーチのご帰還である、思わず万歳と心の中で叫んだ。
これで1日半に及んだ悩みが一気に吹っ飛んでしまった。もう、またパークまで足を運ぶ必要もない。これから先の日常の心配も消えた。思わず顔が綻ぶ。女房に「あったぞー」と叫ぶ。万々歳である。「今日はケーキでも買ってきてお祝いしなくちゃ」と、まるで死地から生き返って来たような気持ちであった。
何歳になっても、生きていれば色々なことがあるものである。こんなことをしながら老いの日を送っているということであろう。めでたし、めでたし。