索端を垂らすな

 若い頃は何をするにも機敏で素早くこなし、他人に遅れを取るよようなことはなかったが、歳をとるといつまでもそういう訳にはいかない。道を歩くのも、昔はいつも人を追い抜いていたものだが、今や、若者ばかりでなく、女性にも子供にも追い抜かれる。食事の時にも、もう皆が終わっているのに、自分だけがまだむしゃむしゃ口を動かしていることになる。

 何処かへ出かける時も、女房がもう玄関の扉を開けて待っているのに、まだ靴紐を結んでいたりする。紐のないスリッポンのような靴にすれば良いのかも知れないが、今のところ、散歩に行くには、紐で結ぶ普段履きの革靴が一番歩きやすいのでそれに固執している。

 ただ靴を履くのにも時間がかかる。先ずは靴の中に入っている靴紐を出し、足を入れて、靴紐を結ばなければならない。若い時と違って、どの動作にも時間がかかる。靴紐など脱いだ時から外へ出しておいたらと女房は言うのだが、靴紐は脱いだら必ず靴の中に入れるようにしないと気が済まない。

 昔、海軍にいた時に、カッターなどの係留用のロープの結び方などを習ったが、その頃ロープの扱い方では「索端を垂らすな」と言うことがやかましく言われた。垂れたロープが事故の元になることを避けるため、船乗りにとっては大事な注意事項の一つであった。

 そんなことが身についたのか、靴を脱いだ後、靴紐が外にだらりと垂れているのも、それと似た感じで、我慢出来ない癖がついたようだ。脱いだ靴の靴紐は必ず靴の中に入れるのが習慣になっている。外に垂れていたりすると、何かだらしなく感じるのである。

 それに関連して、最近よく見かけるシャツの裾をズボンの外に出しているのを見ても、何かだらしのないような感じがして仕方がない。アップルの創始者スティーブ・ジョブスがシャツの裾をいつもズボンの中に入れているのがわざわざ注目されたぐらい、今ではシャツの裾をズボンの外に垂らすケースが多いようだが、やはりだらしない感じがして好きになれない。それも「索端を垂らさない」習慣と関係があるようである。

 そんなわけで、やはり靴を脱いだ時には、靴紐は靴の中にしまわなければ気持ちが悪い。当然、靴を履く時には、靴の中にしまった靴紐もを出し、それから足を靴に入れて、靴紐を結ぶことになるから、それだけ時間がかかることになるが、それは変えられない。

 ひょんなことから、昔の海軍時代のカッターの舫(もやい)や舫結びのことまで思い出し、「索端を垂らすな」と言う声が聞こえるような気がした。