国民を助けない政府

 アメリカのバイデン大統領が来日した折に、北朝鮮による拉致被害者の家族たちは、また大統領の歓迎の宴の開かれた赤坂迎賓館まで出向いて、アメリカの大統領に助力を求めて懇願したと報じられている。

 拉致が始まってから既に四十年、その間、小泉首相北朝鮮に赴いて一部の人たちの帰国に成功したが、その時の失策で、その後の交渉が途絶え、全く問題の解決への糸口さえないまま時は過ぎ、北朝鮮側はもう問題は解決され、過去のものだと言っているとも伝えられている。

 政府はその間、拉致被害者救出のためにどれだけのことをしてきたか。北朝鮮を非難し、拉致問題を政治的に利用して来ただけで、今や全く交渉も進めようとすらしていないのではないか。

 その間に拉致被害者の家族たちも歳を取り、次ぎ次に世を去ることともなり、最早、政府に頼んでいても埒が開かないので、藁をも掴む思いで、アメリカ大統領にまで直接に懇願して、少しでも力になって貰いたいと言うのが拉致家族たちの切ない願いなのであろう。

 どうして日本政府は本腰を入れて拉致被害者を取り戻そうとしないのか。アメリカなどでは抑留されたアメリカ人を取り戻すためには、政府の高官が北朝鮮に赴いて、直接交渉して取り戻して来ているのである。

 交渉には当然こちらも犠牲を払わなければ取り戻すことは出来ないであろうが、国民の命を救うためには政府が全力を奮って交渉するのが常識である。日本政府もあちこちの紛争などで、無理な交渉をしてでも邦人の救出をして来たことも知っている。

 北朝鮮に拉致された人数から言っても、拉致されてからの時間の経過からしても、その交渉の困難であろうこともわかる。しかし、これまでの長い時間の間に取り返す機会が本当になかったのであろうか。四十年とはあまりにも長い時間である。拉致された人の現状もわからなくなってしまっているであろうし、拉致された人の生活基盤も最早日本にはなくなってしまっているであろう。

 拉致家族の諦めるに諦め切れない悲痛な心持ちは痛い程わかる。それに対して政府のやっていることは掛け声ばかりで、政治的に利用しているだけで、本気で交渉して拉致家族を取り戻そうとしているのか、疑問に思えてならない。

 交渉するなら、相手とコンタクトを密にして、こちらも大きな犠牲を払ってでも連れて帰ると言う覚悟がなければ成功しないであろう。北朝鮮が並大抵の相手ではないことはよくわかる。こちらが何処まで譲歩出来るか、するかであ理、何処まで真剣に助ける力を注ぐかである。

 政府はもっと犠牲を払ってでも、拉致被害者を連れ戻すために努力すべきであろう。問題の解決のためには、国民もその犠牲を感受するであろう。あとは政府が国民の命、拉致被害者の命をどう評価して行動するかと言うことだけである。

 もう遅すぎる感がなきにしもあらずだが、やはりここで国民の命を救うために、政府には今一層努力して貰いたいものである。そうでなければ、政府は国民の命さえ守ってくれないことを証明することとなるのではなかろうか。

 同様なことは沖縄についても言える。オール沖縄の全県民あげての選挙結果を無視してまで米軍基地移転を進めることは、国民の命や幸福よりも米軍との約束を優先させ、国民の要望を無視する政府の姿勢を明らかなものとしている。日米安保条約地位協定のあることはわかっている。その上での県民のはっきりとした意思表示なのである。

 その意思を尊重するなら、アメリカと交渉して国民の意思に沿って、条約の変更を求めるのが筋であろう。それをしないで、米軍の要求にそのまま従うことは政府が国民の命を守らないことをあからさまに公表しているものである。

 ここではこれ以上触れないが、現在の日本政府が決して国民の命や幸福をを第一に考える政府ではなく、アメリカに従属し、その契約を至上なものとして、国民の命や幸福はその次に来るものとしか見ていない政府であることを示しているものと言わざるを得ない。