追い詰められたロシア

 ロシアがウクライナに攻め入り、新聞やメディアには爆発による火柱や黒煙、壊されたビルの惨状、避難する人々の姿などが連日載せられている。これまでは、そういった光景があれば、殆どがアメリカの介入による攻撃の悲劇の映像であるとすれば間違いなかったが、今回はその反対勢力とも言えるロシア軍による武力攻撃である。

 核大国の双方が武力を使って問題を解決しようとすれば、世界中で反対の声が起こるのは当然である。話し合いで解決出来ないものかと誰しも思うところでろう。しかし恐ろしいことではあるが、現実の世界ではなかなかそうもいかないもののようである。

 今回のロシアによるウクライナへの武力侵攻は、西側にじわじわと追い詰められてきたロシアの最後の反撃とでも言えるものではなかろうか。ソ連崩壊により東西ドイツが統一するに際して、NATOを東のソ連圏内には広げないという約束が結ばれたにもかかわらず、NATOはその後、旧ソ連圏であった東欧諸国にどんどん広がり、ついにロシアのすぐ隣国であるウクライナまで飲み込もうという趨勢になった来たのである。

 ウクライナは歴史的に見てロシアと起源は同じ国と言ってもよく、ロシアの歴史そのものに深く結びついた地域なのである。そこまでを敵対関係にあるNATOに渡すわけにはいかない。ウクライナNATOに加入すれば、モスクワまでが危険にさらされることとなり、ロシアの安全保障上も重大な問題となるのである。ロシアにとって許せる最後の線を越えることになるので、反撃せざるを得なかったのであろう。窮鼠猫を噛むである。

 アメリカはそれを承知で、交渉でもウクライナNATO加盟の可能性を断固として譲らず、ロシアやウクライナの政府の平和的な解決を目指すとする発言にもかかわらず、ロシアの攻撃が必ず行われると言って煽っていたきらいがある。ロシアが武力を使っても、アメリカは何ら痛痒を感じないが、ロシアにとっては生死のかかった問題だからであろう。

 島国の日本人には理解し難いことかも知れないが、大陸の歴史では、民族の移動も、それに関わる国境の描き換えも始終と言って良いぐらい起こっており、ウクライナあたりの大陸も、古くからキエフ公国などの多くの国が烏合集散を繰り返したり、モンゴールに征服されたり、ポーランドリトアニアに押されたり、オスマン帝国との接触ギリシャ正教の国になるなど

と多彩な歴史を経てきているのである。

 ウクライナの首都であるキエフを中心としたキエフ公国が盛んだった頃には、モスクワはその北辺の辺境の地であったのが、モンゴールに征服された後に、ロシアが発展して現在にようになってきたもので、ウクライナはロシアの歴史そのものであり、両国は切っても切れない関係にあるのである。

 ソ連時代には同じ国であったし、ナチスドイツとの戦争ではウクライナが主戦場となり、第二次世界大戦の形勢を逆転させたスターリングラードの戦いなども戦われ、ロシアにとっても必須の地域なのでる。ただ、日韓関係のように、近ければ近いほどお互いの矛盾も感じやすいのか、これまでにもウクライナ独立運動などが起こったこともあり、ソ連解体後は別の国になったのである。

 そういう切り離し難い隣国までが敵対的なNATOに加わることを座視することは、ロシア自体の安全保障にも関わる問題なので、何としても譲れない最後の一線であったのであろう。例え当座の戦争に勝っても、長期的に見れば決してロシアにとっての得策でないことはロシア自体も覚悟していることであろう。

 それにもかかわらず、アメリカの挑発に乗せられて、武力を使わざるをなかったことは悲しい歴史である。核を持った国のことである。今後どうなっていくことやら心配せざるを得ない。