近くの古墳

 歳をとって近くを散歩することが多くなると、若い時には見向きもしなかった近隣の風物が目につくようになってくるものである。

 私の住んでいる池田も古い町なので、色々と歴史を感じさせられるものが多いことに気付かせてくれる。池田やその周辺の北摂の山裾には、大昔から多くの人たちが住んでいて、その色々な痕跡を残していることがわかる。

 その一つが古墳の多いことである。古墳と言えば、多くの人は奈良県の大和の古墳群や大阪の大仙陵古墳古市古墳群などを頭に浮かべるであろうが、北摂にも多くの古墳が残っているのである。  

 日頃の散歩で簡単に行ける範囲だけに限ってみても、私が実際に行った所だけでも、下に列挙したような多くの古墳がある。

呉三堂古墳、五月山古墳 茶臼山古墳

鉢塚古墳(五社神社)双子塚古墳

中山古墳 中山荘園古墳 切畑古墳 勝福寺古墳 長尾山古墳

大石塚古墳 小石塚古墳

大塚古墳 御獅子塚古墳 南天平塚古墳 

麻田御神山古墳 新稲古墳など。

 呉三堂古墳は池田市の緑のセンターのすぐ近くにあるし、五月山古墳は歴史資料館や旧図書館のある丘にある。茶臼山古墳五月山の住宅街の真ん中にあり、整備されて、古墳の上に登れるようになっている。

 少し東に行けば、鉢塚古墳は五社神社の社殿のすぐ裏で、双子塚古墳は石橋の駅の北の住宅地の真ん中にある。

 西では中山古墳は中山寺の境内にあるし、中山荘園古墳はその西の売布から近いのマンションの開発時に発見されたらしい八角形古墳である。切畑古墳は花屋敷の山麓住宅街に、勝福寺古墳は川西の勝福寺のすぐ裏、八坂神社の参道の横にある。もう少し西では、長尾山古墳が山本から中山台の新興団地へ上がる途中に見られる。

 また次の大塚古墳 御獅子塚古墳 南天平塚古墳は、少し方向を変えて南に行った、豊中の桜塚あたりに並ぶように存在しているし、大石塚古墳 小石塚古墳は岡町駅のすぐ西側に並んでいる。

 その他、蛍池の南のモノレールが空港に向かってカーブしている池の向こうの、木の茂った丘が麻田御神山古墳である。最後の新稲古墳は、箕面の青山学園の下方の池の並んでいる所にあるようだが、まだ確かめてはいない。

 池田には昔、呉の国から呉服、綾羽の織姫がやって来て織物を伝えたという伝説があるし、渡来人の秦氏が支配していたと言われる歴史の古い土地であり、大昔から人が住んで、色々と歴史を積み重ねて来た地方だったようである。

 その為か、古墳との上に神社やお寺が建てられたのか、一緒になっている所が多いのも興味深い。五社神社に鉢塚古墳があり、中山寺に中山古墳、勝福寺に勝福寺古墳、ここに掲げてないが、伊丹市の南神社に御願塚古墳などと、古墳と社寺が一緒になっている所も多く見られる。

 その他にも、池田の猪名津彦神社や、岡町の原田神社も古墳であったとか言われてもいる。古墳以外でも、川西能勢口駅の南の丘の上の鴨神社あたりは昔の環状集落の後らしく、色々調査もされている。

 考古学の門外漢の我々にとっても、ここらにまつわる興味深い話も多く、聞けばつい引き込まれて興味を唆られることが多い。

 日常の忙しさに追いかけられていた現役時代が終わって、地域との結びつきが強くなってくるとともに、自分の住んでいる近くの風物や歴史が次第に親しく懐かしく感じられるようになるものである。