生野長屋大学

 昨年の暮れにヒョンなことから、生野区にある「長屋大学、ぽんぽこキャンパス」という所に連れて行って貰った。娘の関係で、誘われて出かけたのだが、それは生野区の今里や鶴橋、有名なコリアンタウンからも遠からぬ所にあり、古い長屋をリノベーションして、ミモザ食堂と称し、昼はカフェ、夜はバーとして営業しながら、大人も子供も共に学び楽しめる場所を作りたいという思いから、コミュニティ・スペースを提供している所である。

 2階はボードゲームで常時遊ぶことが出来るスペースになっているそうだが、店をレンタルスペースとしても使えるようにして、料理教室や種々の部活動、その他の会合などが行われているようで、ごく最近には、近所に恐竜に詳しい子がいて、その子が先生になって、子供も親も一緒になって恐竜教室を開いたらしい。

 オウナーの女性の話によると、子育てで孤立し、色々問題を抱えて悩んだのを教訓にして、色々な世代の人たちが一緒になって、共に学び、共に語り合えるような場所を作りたいと考えて始めたものだそうである。

 今回は、そこで、もう亡くなった人であるが、旧日本海軍の兵曹長で、ミッドウエイ海戦にも参加し、その後トラック島で餓死寸前となった人の戦争体験を語ったユーチューブの映像を皆で見て、その後、戦争について語りあおうという企画で、もう戦争の体験者が少なくなってしまった中で、たまたま私を見つけて、お誘いがかかったものであった。

 始めは遠い所だし、寒いので、遠慮させてもらおうかとも思ったが、戦争のことなら、やはり若い人に少しでも語り継ぐのが老人の義務かと思い、出席させて貰った。しかし、結果としては行って良かった。最近は若い世代の人たちと話す機会など殆どないので、違った世代の人たちの話を聞けただけでも成功だったと思う。

 ミッドウエイ海戦やトラック島での飢えとの戦など、知らなかったことも含まれており、改めて戦争のことを思い出したが、それより後のフリートーキングで、来ていた人たちの質問や私の思い出話、戦争や当時の日本の国の態度、現在の政治や社会の話、若い人たちの考えなど色々聞けて面白かった。二十五歳から九十三歳までの人たちの話で、取り留めもないことでも一緒に話し合うこと自体が有意義なことだと思われた。

 今や人々がバラバラになって、社会の結びつきが少なくなり、孤独死や独居老人などが社会問題化し、政府も相談窓口を作るなりの対策に乗り出し始めたようであるが、この長屋大学のような、誰もが気軽に立ちよることが出来、お互いに笑って帰れるような場所があちこちに出来れば、社会的にも随分有意義なことではなかろうかと思われる。

 今では隣近所の人たちとの交流さえ殆どなくなり、同じマンションの住民同士でも、お互いに顔も知らない、挨拶も交わさないような状態なので、何か災害や不時の出来事が起こっても有効な助け合いも進まないのではなかろうか。是非こういった人々を結びつける任意の場所があちこちに作られ、そこで気軽に話し、気軽に聞いたり教えたり出来ると良いであろう。