相撲界の閉鎖性

 白鵬がいよいよ現役を引退した。朝青龍の後を継いで、モンゴル出身の横綱として、45回の優勝をはじめ、相撲界の主な記録をほとんど塗り替え、大相撲の屋台骨を支えてきたと言える不出世の力士であった。現在の大相撲が成り立っているのは白鵬がいたからだと言っても良い。

 白鵬朝青龍以上に自ら日本の相撲界になじもうと努力もし、東日本大震災に際しても、相撲界の先頭に立って復興支援を引っ張り、少年相撲大会を立ち上げ、白鵬杯なども作り、日本とモンゴルの友好にも尽くしたし、そこからは阿武咲などの力士も現れてきている。

 ひと頃の各界の不祥事、親方や兄弟子による力士の暴行死事件、薬物使用疑惑、酒宴での暴行事件、野球賭博事件、朝青龍の引退など、相次いだ角界の窮地から抜け出すことが出来たのにも、白鵬の存在が大きく役立ったとも言えよう。

 白鵬こそ日本の大相撲の救世主とも言えるのではなかろうか。こんな横綱はもう2度とは現れないのではないだろうか。

 それに対して、日本相撲協会の態度はあまりにも狭量で、偏見に満ち、陰険、冷淡だと言わざるを得ない。外国人は力士になれても親方にはなれないとして、白鵬帰化を強いたのは、人種偏見の現れ以外の何物でもない。

 さらに、白鵬の荒々しい取り口、勝負判定への不満表現の態度、優勝インタビューで観客に万歳三唱や三本締めを促すなどを品格を欠くとし、親方襲名に際しても、優勝20回以上の功績が大きい横綱に認めてきた「一代年寄」にも指名せず、年寄り資格審査委員会は採決を見送り理事会に回し、親方としてのあり方に異例の注文をつけて、サインまでさせているのである。相撲界のいじめとしか言えない。

 白鵬が「なんぼ頑張ってもしょせん外国人なのかな」と悲痛な思いを漏らした通り、日本人であれば、恐らくこのようなことはなかったであろう。白鵬の振る舞いへの違和感は人種差別であり、日本相撲協会の将来の発展を阻むことになることを理解すべきである。かって朝青龍を追い出したのに対する反省も微塵もない。

 相撲は、寺社に奉納される古来からの「神事」であり、ヤクザが仕切る江戸時代に隆盛した「見世物興行」であり、また明治以降になると富国強兵策の一環として推奨された青少年の健全なる「スポーツ」として続いてきたものである。

 その伝統の上に、今なおスポーツとしての発展を願いながらも、旧態依然とした神事や、それにまつわる伝統にどっぷり浸かって、現代化した日本の中でも、特異な存在となってしまっている。

 或人が「2015年初場所13日目、白鵬大鵬の大記録を超える33回目の優勝を決めたあの大一番の日。相手は稀勢の里。枡席でドキドキしながら見ていた私のすぐ後ろから声が飛んだ。「日本人力士、がんばれ!」。私の心は凍りつき、次に怒りで沸騰し、気が付いたら「白鵬!」と叫んでいた」と書いていたが、稀勢の里横綱昇進前後には「日本人、日本人横綱」と騒がれたことも忘れられない。

 白鵬の万歳三唱問題も、13年九州場所の14日目、日本人横綱誕生が掛かっていた稀勢の里白鵬が対戦し、稀勢の里が勝つた時に、喜んだ観客から万歳三唱が巻き起こったことに由来しているとも言われている。

 伝統を残すにしても、「伝統文化や相撲道の精神」などと言う相撲協会の姿勢を乗り越えて、スポーツ中心のものとして育てて行かねば、相撲の将来はないのではなかろうか。日本とモンゴルでは歴史も文化かも異なる。当然その行動にも違いが見られるであろう。かっては曙や武蔵丸といってハワイ勢の活躍した時代もあった。相撲の発展には、もはや国際化は避けられないであろう。

 白鵬が引退会見で「品格」についていろいろ言われてことについて、「土俵の上では手を抜くことなく鬼になって勝ちに行くことが横綱相撲と考えてきた」と言っていたが、それこそ勝利の秘訣で、それが相撲道ではなかろうか。

 将来とともの大相撲が発展して行くためには、相撲のスポーツ以外の部分を、あくまで象徴的なものの範囲に留め、フェアなスポーツとして、外国人にも、もっと自由に入れる世界にしなければならないであろう。それが何処まで出来るかが、日本の相撲界の将来を決めるのではなかろうか。