PostSUN77展

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 SUN77展と称して、毎年一回グループの写真展を続けて来て、近年はこのブログでも、出展作品を紹介してきたが、一昨年を最後に途絶えてしまった。

 もともと、写真は普通の人が撮る程度に、機会がある時に撮る程度で、特に深入りして、それに没頭しようなどと思ったこともなかった。病院を辞めて時間が出来たので、もともと落書きが好きだったので、絵でも描こうかと思っていたが、それがひょんなことで写真の道へ入ってしまったのであった。

 大学のクラス会で、たまたま写真をあちこちに発表している友人と席が隣同士になって、写真の話で盛り上がり、その流れで、その友人の属していた写真クラブに入れて貰うことになった。初めは付き合い程度にしか考えていなかったが、クラブのアドバイザーをしていた写真家と好みが一致したのか、その人に煽てられて、やがて国画会の写真部に入れられ、変わった写真を撮るものだから、野島賞だの、国画賞だのというものまで戴いて、十年ばかり毎年出品することになってしまった。

 しかし、こちらは写真の基礎的なことは何もわからないし、出展するとなると準備も大変だし、会の付き合いにも煩わしいものがあり、途中で退会してしまった。ただ気楽に付き合えるグループ展の方はそのまま続けてきた。

 ところが、何にも栄枯盛衰があるもので、こちらのグループは戦後素人の写真愛好家が増えた頃に沢山出来た写真クラブの一つで、メンバーも定年退職して趣味に写真でもという人が多く、カメラを撮りながら一緒に歳も取っていくことになり、やがて皆が歳を取ってしまい、一人去り、二人去りで、終いには誰もいなくなって、店じまいということになってしまった。

 最後の展覧会が一昨年の七月だったが、その秋には私が脊椎管狭窄症で歩けなくなり、それに続いてコロナが流行し始めて、何も出来ないまま月日が経ってしまった。その間にアドバイザーだった写真家も高齢で、認知症気味とかで連絡もつかなくなってしまい、最早グループの再会もあり得ない。

 私自身も歳をとってしまい、再び活躍することも叶わないが、写真展を目指して撮り溜めた膨大な写真があるので、それをPost SUN77展として、せめてSNS 上だけででも、少しづつ披露していこうかと思う。良ければ見てやって下さい。

 今回は「門番の兄弟」というタイトルの四枚ものです。ある家の門戸の鎹に使われていた鉄材が、門戸の取り壊しとともに打ち捨てられてしまったものです。