核兵器禁止条約

 今年の一月に、ようやく世界の55ヶ国が揃って、国連の核兵器禁止条約が発効した。原爆の唯一の被爆国の日本は当然この条約に真っ先に加わっているだろうと思うのが常識だろうが、実は日本は初めからこの条約に反対で、この条約が有効になっても、あくまで参加しようとはしない。

 どうしてなのかと訝る人もいるであろうが、アメリカからの働きかけがあったのかどうかは分からないが、日本はアメリカの「核の傘」に守って貰っていることになっているので、アメリカを思ん謀って、この条約に初めから加わろうとしていないのである。

 そればかりではない。オバマ政権が核兵器先制使用禁止を宣言しようとした時にさえ、「核抑止論まで禁止されてしまうと、日本の安全保障政策が根源から揺らいでしまう」と言い、あくまで、日本がアメリカの核の「傘の中」にいることを安全保障の根幹と考えているようである。 近隣国からの核によらない通常兵器による攻撃に対しても、核兵器による反撃がありうることを相手国に示しておかないと安心出来ないようである。

 しかし平和な時には「核の傘」もあるいは有効かも知れないが、実際の戦争となれば、安心の拠り所にならないばかりか、かえって危険でさえある。 

 仮に北朝鮮が相手国だとしてみよう。アメリカ軍の核攻撃によって相手国に壊滅的な打撃が与えられるにしても、反撃されれば、日本も壊滅されてしまうことになる。原爆でなくとも、若狭湾の海岸に並んで固定されているいくつかの原発が破壊されただけでも、日本にとっては致命的となるであろう。

 また、中国のような広大な大陸が相手では、一発の核攻撃で相手をやっつけることは不可能である。そうすれば、核による反撃が起こることになるであろうから、日本列島では、最早誰も生きて行けないことにもなりかねない。

 攻撃にしろ、反撃にしろ、水爆さえある中で、核戦争が起これば、この小さな島国が耐えられるとは考えられない。攻撃したアメリカ軍はは本国へ撤退すればそれで済むであろうが、日本はその戦争に勝とうが負けようが、全国民に及ぶ、死活の問題ということになる。

 こう見てくると、核の傘より先ずは核のない世界を造る方が、より現実的で、より安全な方策であろうと思われる。大事なことは軍備増強よりも外交である。アメリカとの関係を、平等で中立的なものとし、核のない世界の潮流に乗って、自主的な平和外交を進めることが、より安全な道ではなかろうか。

 核戦争のことを考えなくとも、日本をアメリカの対中国戦争の前線基地とすることは絶対に避けるべきである。沖縄の島々に攻撃用の基地を置くことは、相手の反撃目標を作ることである。アメリカの基地としての有用性が高ければ高いほど、攻撃は必ず反撃を呼ぶものである。

 結果は、沖縄の人々を再び戦果に晒すことになるだけでなく、日本にあるアメリカ軍基地を狙った攻撃も当然起こるわけで、アメリカ軍は不利とあらば、いつでも本国へ逃げられるが、日本が戦場となり、日本人が先の大戦時以上の悲惨で過酷な目に遭うことになることを知るべきである。先の大戦における沖縄戦を思い出すだけでよくわかる。

 アメリカの前線基地となることは最悪の選択である。日本が中立を維持出来るように日米関係を見直し、何としてもそれだけは避けるべきであろう。