1945年の春に、希望に燃えて憧れの海軍兵学校に入ったが、僅か4ヶ月で敗戦となり、意気消沈して大阪へ戻り、戦後の混乱に巻き込まれ、心の支えであった神も仏も失い、途方に暮れていた一年後の日記が見つかったので、その抜粋を残しておきたい。2日だけの日記であるが、当時の1年間の急変した世の中での我が心情がよくわかる気がする。
1946年4月9日
敗戦以来人々が謀略に乗せられていることは誠に嘆かわしいことなれど、父まで遂に軟弱になってしまった。老人の故なるかな。余の人全てが如何ならんとも己は己の信ずる道を進む。即ち、千万人行けども我行かずの気概こそ日本男子の意気と信ず。国の為、君の為に闘う。
国のため世のため何か惜しからん
捨てて甲斐ある命なりせば
の歌の如く、一生を君と国とに捧げてこそ、生き甲斐があるのではないか。そうでなくて、何が故に辛き憂き世を生きて行かねばならぬのであろうか。
1946年4月10日
去年の今日こそ、吾人の絶頂の日であった。海軍兵学校入校式であった。それまで、只夢にのみ憧れていた兵学校生徒。それが現実となって現れし喜び。その喜びはいまだに忘れることが出来ない。我が胸は希望に溢れ、正に意気天を衝く趣きがあった。
然るに、一年後の今日は如何。敗戦の辛苦を日々身に受け、臥薪嘗胆、以って復仇を誓って、真っ暗な中を、そこへさす一筋の光明を見出すべく努力しているのだ。
前者を朝日に輝く桜の花に喩えれば、後者は山蔭の薄暗き所の草葉に埋もれた名も知れぬ、何人にも省みられることもなき、小さい花とでも言うことができよう。
しかし、そんな小さい草の中に埋もれた花でも、いつ人に見つけられぬとも限らない。
踏まれても根強くしのべ道草の
やがて花さく春の来るまで
この歌の如く、如何に踏みにじまれて、花は落ち、葉はちぎられても、根さえしっかりしていたならば、春には自然に芽を出し、また花を咲かせるであろう。