目の錯覚を楽しむ

 左目は50代の後半にストレス性の黄斑の浮腫を起こし、以来、中心暗転がずっと残り、左目で物を見ると中心部が暗く歪んで見え、両眼で見る時も良い方の右目だけで見ているようなものなので、奥行きがわかりにくい。

 その右目も老眼だし、おまけに0.4ぐらいの老人性近視まであるが、それでも、普通の日常生活どうにはさして不都合を感じない。今でも一日中パソコンを見たりしているし、本や新聞を読むのにもメガネがあればさして困らない。

 勿論、左目で見ると物が歪み、平行線も真ん中がくびれて見えるので最初は驚いたが、そのうちに片目で見ると、出会った女性が皆八頭身に見えるので密かにそれを楽しんだものであった。道で人とすれ違う時などには、相手の顔を見るので、視野の中心の顔が小さく見え、体が相対的に大きくなるので、顔が少し暗くはなるけれども、八等身に見えるわけである。

 しかし、左目が効かないので、主として右目だけで見ていることになるので、立体視が効かないと同時に、右の視力も悪いので、物を誤認することが多い。ことに外が薄暗いような時には、なかなか識別が難しいことが多くなる。

 街角の郵便ポストが赤い服を着た女性に見えたり、家の前のゴミ袋が犬に見えたり、川の中の構造物に流木や塵が引っ掛かっているのが、どう見ても、釣り人が岩か何かの上に座って、釣竿を垂れているとしか見えなかったりする。

  またこの間は、猪名川の川縁の遊歩道を散歩していた時のことであった。向こうから、もう老人と言って良いぐらいの女性とすれ違ったが、その女性がスマホを見ながら歩いているではないか。「へー世の中も変わって来たな。あんなおばあさんまでスマホを見ながら歩いている」とびっくりしたが、一緒に歩いていた女房からは、スマホじゃなくて水筒だった言われた。

 こういう見間違え、取り違えが屡々おこることになるが、それはそれで想像力を刺激してくれるので、困ることより楽しませて貰えることの方が多い。目が悪ければ悪いなりの楽しみもあるのである。