昨年9月に菅氏が首相になった時、「菅氏はどう見ても、番頭であって主人の器ではない。」と書いたが、その後のこれまでの経過を見ても、益々、それが明らかになって来たように思われる。
官房長官時代の記者会見の時の様子からも、それは伺われたが、首相に決まった時の最初の発言が、「自助、共助、公助」であったのを知って、この人は首相の器ではない、この人に任すわけにはいかないのではとまず感じた。
こんなことは、初めて首相になった人が、口が裂けても言うべきことではないからである。「困った人は政府が助けるから、皆で協力して、力を合わせてやっていこう」と呼びかけるのが、トップの人が国民に呼びかける言葉であろう。それを「 政府は知らんから、先ずは各自が自分でしっかりやれ。次いでは、共助で政府に頼らず、家族や周辺で助け合ってやれ、公助はそれから先の最後の手段だ。それも政府は最低限のことしか出来ないから当てにするな」と言っているようなものである。
こうして菅内閣が動き出してから、最初に出て来た問題が学術会議会員の任命拒否の問題であった。黙って任命拒否をしておいて、問われても、任命拒否の理由を説明しようとせず、反対の声が強くなっても、沈黙のまま何の説明もしようとせず、任命問題の代わりに組織の変更を迫ったりして、以来今に至るも、任命拒否は欠員のまま、未だに沈黙をに続けたままである。
それ以後の菅内閣の大きな問題は、もっぱらコロナの流行の対する対応であった。ところがこの問題でも、全ては専門家の意見を聞いてと言いながらも、打つ手はいつも後手後手で、経済対策でも、関係団体に引きずられたGo To Travelなどの失敗のために、せっかくの緊急事態宣言による対策も中途半端になり、感染の拡大を何度も繰り返すこととなってしまった。今なお、コロナのウイルスの変異もあり、今回の第4波の流行も全国的に広がり、未だ流行抑制の目処も立たない。
しかもそれに対するワクチンの入手も、不手際が重なり、諸外国に比べて格段の遅れをとってしまい、今や多くの国が集団免疫の状態に近づいていこうとしているのに、日本では、未だに、優先接種の医療従事者や高齢者の接種が進みかけている段階である。私どもも何回申し込んでも満員でいまだに接種して貰えていない。
それでいて、一方で政府は、7月23日から始まる予定の東京オリンピックは、未だに予定どうり始める積もりのようである。世論調査でも、国民の7〜8割以上の人が中止か延期を求め、外国からも反対の声が上がってきているのにである。今の感染状況と残された2ヶ月あまりしかない日数を照らし合わせれば、誰が見ても、中止か延期を決めるべき時が来ているのに、疑問の声にはまともに答えようとせず、開催に向けて準備は進めているようである。
国会でそれを追及されても、答えにならないような返答を繰り返すばかりで、一向に明確な返答がないのは主権者である国民に無礼だとも言えよう。国民のイライラがますます募ってくるのも当然である。今朝の新聞を見ると、内閣の支持率も33%に落ちたようである。
コロナ対策にしても、オリンピックの開催にしても、いずれも国民に言い難いこともあるであろうが、今のような緊急時には、首相が国民に向かって話しかけることが何より大事なのにと思われるが、強いて隠すかのように、一向に説明しようとしないのはどうしてであろうか。
日本では、欧米のような流暢な弁舌が政治の武器としてあまり用いられてこなかった面もあるが、危機の時の政治家の国民への話かけは、政治家が点数を稼ぐチャンスでもあるのである。「現在の問題はこうこうだ。これを解決するには今はこうこうして行かねばならない。私はこここうすべきだと思う。必ず展望は開ける。皆で一致団結した向かっていこう」などと一席ぶって、国民に向かって政策を進めるのが、トップに立つ政治家の姿勢ではなかろうか。そうすれば、国民の理解も得やすいし、反対意見があるにしろ、一定の国民の支持も得やすいのではなかろうか。
ところが菅首相の場合には、聞かれても曖昧な返事にもならないような返事を繰り返す返すばかりで、黙って裏で工作して、事を進めようとする態度なのである。これでは首相失格である。前任の長期政権の安倍氏が辞めて、やっとあの顔を見なくて済んで済々したが、今の菅首相も陰鬱で、見るだけでも気持ち悪くなりそうなあの顔も、早く見ないで済むようにらないものかとつい思いたくなる。
コロナの流行も困ったものだが、それに対処する菅首相の方も頼りなくて、ほとほと困ったものである。何とかならないかと言いたくなるのは私一人ではなかろう。