もう「わきまえた女性」ではおれない

 先の日曜日、NHK日曜討論の時間にテレビをつけたら、今回は、各党の女性議員だけが集まって、男女同権などのついて話し合っていた。他に用事があったので、内容は殆ど聴く時間がなかったが、女性議員だけの日曜討論などは初めてのことではなかろうか。

 次回は是非、各党の責任者である男性議員にも出てきて貰って、一緒に討論する機会を儲けて貰いたいものである。

 つい先日JOCの委員会で、森会長が女性差別の発言をしたのが世界各地で報道され、IOCも問題にせざるを得なくなり、森氏が会長を辞め、橋本オリンピック担当大臣に交代することになった。これを契機に、オリンピック委員会も、女性委員を増やすことになったようだが、社会一般にも男女同権、女性の活躍促進が再び注目される切っ掛けになった。その結果が、女性議員だけの日曜討論が初めて行われることになったものであろう。

 男女同権についての議論は、歴史的にも随分長いが、それにもかかわらず、この国では、依然として男性支配の社会は一向に改っては来ていない。未だに女性の総理大臣は一人も出ていないし、閣僚の中で女性の占める割合も極めて少ないままである。世界の趨勢からも格段遅れているし、産業界でも女性の進出はまだまだで、女性の幹部は数えるほどしかいない。

 男女雇用機会均等法や、男女共同参画社会基本法など、制度の上では男女平等も進んできているが、社会の意識改革は遅れ、依然として男性社会の支配が続き、主として、それを「わきまえた」女性だけが受け入れられているのが現状ではなかろうか。

 少子高齢化労働人口が次第に減り、労働力が不足してきたので、それを補うためには女性に頼るしかなくなり、上記の法案などは、女性の労働市場への進出を促すための経済的な面での女性活躍を促すためのもので、多くの女性が職場に駆り立てられたが、それも、多くは非正規労働市場への参入であり、決して男女同権を目指すものではなかった。

 男社会を維持した上での女性活躍であり、非正規労働の割合も男性よりも女性の方がはるかに多い。しかし、女性労働者が次第に広く社会的に活躍するようになると、嫌でも男女差別の問題に直面せざるを得なくなり、いつまでも男社会を「わきまえて」は居れなくなる。女性が働くと、生計を共にする男性もそれに協力せざるを得なくなり、男女共に社会的な意識にも変化が起こり、次第に若い労働者の間では、男女同権意識の社会的背景が作られて行くことになった。

 こうした背景のところに、旧態依然とした男社会の、時代の流れを読み取れない高齢男子の支配者の綻びが出現し、人権としての男女同権が前面的な問題となって来たのである。最早後戻りは出来ない。どうなっていくかはまだ分からないが、こういうことが切っ掛けになって、紆余曲折を経ながらも、男女同権、女性の社会進出が今後、次第に進んでいくであろう。

 人口の減少、労働力の不足を安価な女性労働力の活用で埋め合わせせざるをを得なくなった男性優位社会が、遅々として進まなかった男女同権を推し進めることになったのは歴史の皮肉であろうか。