文明はジャンプして進歩する

 いつ頃だったか。ポーランドの古都クラコフを訪れたた時のことである。ホテルの部屋へ入ろうとして、フロントで渡されたカードをドアのスロットに差し込もうとしたところ、何処にもスロットが見当たらない。どうしたことかと見ると、ドアの少し上部にある目印のところにカードをかざすと、カードが読み取られて、ドアのロックが外れる仕掛けになっていた。

 今でこそ何処でも広く使われている方式なので、何も驚くことはないが、まだ前世紀の終わり頃で、日本でも、ホテルのドアはまだ大抵、鍵で開けるようになっており、所によっては、ようやくカードをスロットに差し込む方式が取り入れられつつあった頃であったので、そんな最新式の方式が、東ヨーロッパのポーランドの、しかも歴史の古い地方都市で、まさが取り入れられているとは思いもしていなかったので驚いた。

 しかし、考えてみれば、発展の遅れた国や地方でも、新しいものを作ろうと思えば、一番進んでいる所のものを参考にして、出来れば、その最先端のものを目指して、それに負けない物を作ろうとするのが人情であろうから、当然のことであろう。

  日本でも、敗戦直後には、日本は三等国だ、日本人の知的年齢は12歳だなどと自嘲したり、馬鹿にされたりしていたし、私が初めてアメリカへ行った1960年を過ぎた頃でも、安物はmade in Japanだと思われていたものだったが、世紀の終わり頃になると、Japan as No.One などとさえ言われるようになった。

 また、中国へ旅行すると、世紀の変わる前後までは、昔の日本に似た風景に出くわして懐かしい気がしたものであった。朝早くホテルの窓から街路を眺めると、大通りいっぱいにまるで蟻の大群が押し寄せて来るように、自転車に大群が走って来る光景にびっくりさせられたし、田舎へ行くと、昔懐かしい農村風景で、牛馬が畑を耕し、店の裏へ回ると農機具が置いてあったり、雑然としたところにおかれた水槽に魚が泳いでいたりしていたものであった。

 それが10か20年もすると、上海などでは、もうマンハッタンまがいの高層ビルが建ち並び、高速道路が縦横に張り巡らされて、車に満ち溢れているようになってしまった。今や、経済規模でも、日本を追い抜き、GDPは日本の3倍にも達している。

 歴史はこういう風に、遅れて後から来たものが、徐々に間を詰めて先進国に追いついて来ると言うより、一足飛びにジャンプして、追いつき、追い越すようにして、進歩して行くもののようである。技術的な分野では殊にこの傾向が顕著だが、政治や社会、経済分野などでも、ある程度、同じようなことが言えるのではなかろうか。

 今では最早、韓国の賃金水準が日本を追い抜いていることも知るべきであろう。日本はこの30年間、経済の停滞が続いている。コロナの世界的な流行もあるが、中国だけでなく、東南アジアやインド、アフリカなども急速に変わりつつある。もう十年先の世界がどうなっているであろうか、もう見れないだろうが、楽しみである。