このままでは日本はもう一度潰れる

 政府の学術会議会員の任命拒否は学問の自由だけの問題ではない。これを許すと、必ずや次は映画や演劇、教育等の弾圧へと進む。日本の同調圧力に弱い世相に便乗して、一歩一歩、国民に対する政府の恣意的な圧力が強くなることは目に見えている。この国はもう一度、戦前と同じ過ちを繰り返したいのであろうか。

 もはや戦後75年も経っている。あの絶望的な戦前から戦後にかけての過酷な時代を知っている人は、最早ごく僅かしか残っていない。あの時代を知らない人にとっては、この問題は、ややもすると、直接的な危機として実感しにくいのかも知れない。

 菅内閣の政策としても、携帯電話の料金の下がる方が、直接生活に関わるので、学問の自由より重要であるかも知れない。「たかが6人のことで騒いでいる」という受け止め方の見られることがあるのも想像出来る。一般には、学問の自由への侵害に抵抗の声を上げないことが、自分たちの生活や未来にどんな影響を及ぼしていくのかも分かり難い。

 しかし、戦前の歴史を振り返ってみると、その危険性が良くわかるであろう。戦争は決してある日突然に起こったものではない。平和な生活が少しづつ少しづつ崩されていって、それが次第に積み重なって行き、ある時点まで行くと、もう誰も反対出来る者がいなくなり、反対しようにも出来なくなってしまい、とうとう独裁政権に言われることに、嫌々でも、嬉々としての如くに従い、積極的に戦争にまで協力し、そして、その結果としての悲惨な敗戦、全ての崩壊につながってしまったのである。

 戦前の政府の国民に対する締め付けも、初めは共産党社会主義者の弾圧であった。それから宗教団体への弾圧。やがては学問への弾圧が続き、続いて全ての報道が統制され、政党もなくなって、大政翼賛会が出来、国民の生活の全てが政府の管理のもとに置かれ、軍国主義が進み、それに反対するものは全て国賊とされて排除されたのである。

 私の子供の頃はアカは怖いぞ、近づくなと言われていた。多くの人は特別な人間が排除されるのであり、自分たちは関係がないと思った。そのうちに学者や宗教家に災いが及んで来ても、我々は対象でないからとやり過ごした。更に弾圧の目が強くなって来ても、出来るだけ目を瞑って、私は関係ないからと自分に言い聞かせるようにした。

 しかし、とうとう自分の周辺にまでも取り締まりがきつくなって来ても、もはや誰も助けてはくれない。かえって密告されかねない恐れに身を縮めて、出来るだけ目立たぬように、長いものには巻かれて、少なくとも表面的には取り繕って、上から言われる通りに行動せざるを得なくなってしまった。誰が見ても「負ける」としか考えられないのに、誰もあからさまに「負ける」とさえ言えなかった時代を、今では想像することも出来ない。

  その結果が政府の思い通りに振る舞われ、遂には、家を焼かれ、食べる物もない、あの悲惨な奈落の底に突き落とされてしまったのであった。子や孫を再びあのような悲惨な目に遭わせたくないというのが、戦後の多くの人たちの願いとなり、それが平和憲法による戦後の民主主義に結実されて来たものである。

 学問の世界への弾圧を対岸の火事と見ているうちに、普通の人たちまで窒息していった戦前の悲劇が、憲法の「学問の自由」条項の背景にあることを忘れてはならない。学術会議の独立性が強調され、軍事研究を拒否するのも戦前の苦い経験から、二度と過ちを犯さないために主張されて来たものである。

 ナチスの場合も、ユダヤ人が拘束された時には、私はユダヤ人ではないからと多くの人が関心を払わなかった。その後にファシズムが進んでいっても、自分とは関係がないからと無関心で来た人たちが、いよいよ自分らに直接害が迫ってきた時には、も最早誰も助けてくれる者は誰もいなかったそうである。

 そういう歴史に照らし合わせてみれば、今回の学術会議会員の政府による、違法とも言える任命拒否は、決して社会の特殊な分野の中だけの出来事ではなく、まさに社会全体のファシズム政府の独裁の始まりであることが明らかである。これを許せば、戦前と同じで、報道や芸術、教育などへの政府の干渉を強めることにつながり、やがては政府の検閲を通らなければ、自由な表現が許されなくない時代になることは明らかであろう。

 どうも今回の6名の任命拒否は、複数の政府関係者が明らかにしたところによると、内閣府の警察出身である杉田副長官が、安全保障政策などを巡る政府方針への反対運動を先導する事態を懸念して、任命を見送る判断をしていた由で、菅首相は言を左右して答弁から逃げていたことは明らかである。

 こういう政府の圧力がある程度進んでしまってからではもう遅い。この国の民主主義を守り、二度と”大日本帝国”の過ちを繰り返さないためにも、この無謀な政府の任命拒否に反対し、国会でその経緯を明らかにし、この任命拒否の問題を解決して、学問の自由と、平和な民主主義をここで守らなければならない。

 老齢の私はもういつまでも生きてはいない。しかし、我々の子供や孫の世代のこの国に住む人たちが、再びあの惨めな生活、地獄の苦しみを再び経験することは耐えられない思いで一杯である。何としてでも、ああいう世の中だけは避けて生きて欲しい。民主主義に反する不当な介入には敏感に反応して、幸せな生活を送り続けることが出来ることを切に願うものある。