アイヌに取って大阪は良いところだった

 アイヌ民族共生象徴空間(ウポポイ)というのが北海道の旧白老村に出来た由である。アイヌ文化の復興と発展のナショナルセンターとして設立されたもので、国立アイヌ民族博物館や国立民族共生公園などといったものが作られたそうである。

 散々虐めておいて今頃になって共生とかいって、遅過ぎるのではという気もするが、世界の潮流が先住民族の尊重ということになって来たので、その波に乗ったものであろう。オーストラリアやアメリカ、ハワイなどでも見直しが行われ、次々と、先住民族の権利が尊重され、法的な裏付けや、一部の土地の返還などが行われた所もある。

 アイヌ民族に対しては、明治政府は北海道開拓として、屯田兵を先頭にして、次々と多くの移民を内地から送り込み、一方的に、色々な法律でアイヌ人の土地や権利を奪い、クマ猟や鮭漁などまで禁じて、その生活を奪ってきた長い歴史がある。

 こうして徹底的に搾取して、絶滅に近くまで追い込んだ挙句に、勝者は最早共生するだけの力もなくなったアイヌ民族に対して、先住民族の尊厳を尊重し、差別のない、多様で豊かな文化を持つ活力ある社会を築いてきた象徴として、このウポポイが作られたと言っている。

 今更といった感もあるが、貴重な文化が消える前に保存し、出来れば復興と発展を図ることが出来ればそれに越したことはない。世界の潮流を見て、諸外国の例などを参考に、まるで古代の重要文化財の保護ででもあるかのように、保存していこうという動きで、復興や発展、共生にはすでに遅すぎるのではなかろうか。

 それどころか、実世界では未だにアイヌ人に対する差別は無くならないし、共生する対等な相手とならなくなったが故の、滅び行く者へのノスタルジアからの文化の保存、維持が現実の目標ではなかろうか、

 アイヌ人に対する差別は未だに強く、2016年の内閣府の調査でもアイヌ人の回答によると72.1%が差別があると答え、実際に差別を受けたという回答もアイヌ人の36.6%に見られたそうである。特に婚姻や教育、就職などに関わる差別が強いようである。ただ、年齢が上がるほど差別が強かったそうであるのは、アイヌ人の人口の相対的な減少を示唆しているのではなかろうか。

 昔の北海道ではアイヌ人は今より人口も多かったために、もっと排斥され、差別されていた。戦前の関西などにおける朝鮮人に対する差別のような、あるいはもっと酷かったのかも知れない。私の古い経験では、戦後まだ間のない頃、1953年に友人と北海道を旅した時の経験が忘れられない。

 阿寒湖の近くの宿に泊まった時、近くに泥棒が入り捕まったという事件があった。それについて宿の女将が話してくれたのは「犯人はアイヌではなかったが、アイヌの血が4分の1入っている」という説明であった。

 また、アイヌ部落を訪ねた時、クマの木彫りを彫っている、長い顎髭をした、見るからにアイヌの老人と話をしたことがあった。「何処から来たのか」というので「大阪から」と答えたら、急に懐かしそうな顔をして「私も長い間大阪にいたが、大阪は良い所だった」と色々話してくれた。

 大阪では釜ヶ崎に住んでいたと言うので、怪訝に思って「どうして大阪が良かったのか」と問うと、「北海道では、あいつはアイヌだと始終後ろ指を指されるが、大阪では誰も振り向きもせず、皆が同じように扱ってくれたから」と話してくれた言葉が忘れられない。

 ウポポイが掲げたスローガン通り、アイヌ人の先住権と民族の尊厳が尊重され、差別のない多様で豊かな文化の復興と発展が進むことを願った止まない。