裸足の感触

 

 先日箕面の滝まで行く途中のこと。道端で、おじいちゃんと3〜4歳ぐらいの孫が揉めていた。一緒に滝まで来たのだろうが、孫の運動靴が足に合わなかったのか、孫が途中で足が痛いと言い出して、おじいちゃんが困っていた。

 それまでにも、おじいちゃんと孫の間では、いろいろ経過があったのであろうが、我々が通りかかった時には、困ったおじいちゃんが丁度一計を案じて、孫に「それならいっそ靴を脱いで裸足で歩いたら」と提案しているところであった。

 しかし、孫は首を振って応じない。おじいちゃんも困り果てて、「一辺試してみようよ。気持ちいいよ」と勧めるるのだが、孫は一向に応じようとしない。通りすがりに見ただけなので、この老人と子供のやりとりの結末がどうなったのかは知らない。

 ただ、その時思ったのは、今時の子供は裸足で歩いたことがないので、裸足の感触を知らないのではないかということであった。我々の子供の時はまだ、今よりずっと裸足の機会が多かった。「また裸足で。ちゃーんと足を洗ってから上がって来なさいよ」などとよく怒られたものであった。

 ところで、いつの頃からか、我が家から下駄が姿を消してしまった。昔はどの家でも玄関や勝手口には下駄や草履が置いてあって、家の中では多くは裸足か足袋で暮らしていたものであった。親指だけが別になった靴下のあるのはこの国ぐらいかも知れない。下駄や草履は靴よりもまだしも馴染み深いものである。

 日本の家庭での生活では、上と下の区別がはっきりしているが、建物は南方式で開放的なので、中から外へ、外から中へ移動が容易になっている。玄関からだけでなく、土間や勝手口からでも、縁側からでも自由に出入りが出来る。

 そうなると家の中でじっとして居れず、すぐ外へも出たがり、屋内と屋外を自由に出入りしたがる子供達にとっては、いちいち靴を履いたり脱いだりするより、下駄や草履などの履き易いものを選びたくなるし、ちょっと庭先に降りるだけなら、禁を冒してでも、裸足のままで用を済ませたくなる。

 それにその頃は、裸足での外の仕事も珍しくなかった、田植えその他の農作業を裸足ですることもあったし、田舎では、学校へ裸足で通う子供もまだいたし、街でも裸足で外で遊ぶ子も珍しくなかった。

 裸足は気持ちが良いものである。特に気候の良い時など、裸足で芝生の上や、砂の上を歩いたり、走ったりした時の裸足の気持ち良さ、開放感、足裏から直接伝わる地面からの心地よい刺激は忘れられない。尖った岩肌や危険物の多い所は避けねばならないが、この裸足の感覚は、もう長い間、実際に経験したことがなくなった今でも忘れられない。

 初めに書いた子供の場合は、近頃の事なので裸足で外を歩いたことがないのではなかろうか。いくらおじいちゃんが進めるからといって、そんなルールに反することはしたくないと思ったのではなかろうか。実際の結末はどうなったのか知らないが、お父さんやお母さんでなく、おじいちゃんの提案なのだから、一度試しに冒険してみたら良かったのではなかろうか。

 一度裸足で歩く感触を覚えたら。その時の当座の靴擦れの痛みの解消になっただけでなく、いつまでも忘れがたい裸足の開放感や心地よさの良い思い出が出来たのではなかったのではなかろうか。自分の子供の頃の裸足の感触を思い出して、つい勝手な想像を巡らせたものであった。