今度はまともな観光日本を育てよう

 コロナの流行する直前まで、日本は観光立国を国策として掲げて、外国からの観光客誘致に力を入れ、その結果、最近は年々観光客が激増し、今年は訪日外国人4千万人を目標にしていたところであった。この目標はコロナの流行のおかげであえなく潰えたが、近年はあまりにも急激な観光客の増加にその対応が追いつかず、オーバーツーリズムというのか、色々なところで問題が生じていた。

 大阪の心斎橋筋など、大きなバッグを引きずった観光客ばかりだし、ドラッグストアの前では開店前から人だかりが出来ている。大丸も各階とも観光客で溢れ、あべのハルカスのエレベータに並んでいるのも外国人ばかりのようであった。京都の市バスは観光客に占領されて、肝心の市民は満員で乗れない。銀閣金閣の門前は観光客に溢れてなかなか中へ入れないどころか、途中の道を横切って進むことすら難しいぐらいである。「今日わ」というより「你好」と言う方が普通のような感じであった。

 観光客の激増で、静かな京都の観光地や交通機関が、ただ観光客の大群に溢れるだけならまだしも、周囲の環境が荒らされ、混雑などで住民の日常生活にも影響がで出てくるなど、マイナスの影響も目に余るようになって来ており、ここらで受け入れ体制を一度根本的に見直すべき時になっていたような気がする。

 観光で経済的発展を試みることは悪くないが、本来の姿を維持しながら観光客を迎え、観光客にも満足して貰いながら、町の伝統も守られ、住民の普段の生活も邪魔をされない、共存出来る観光の姿を作っていくべきであろう。

 京都を拠点に、地域再生などに取り組んでいる、米国生まれのアレックス・カーさんも、最近の新聞紙上で、コロナ禍という災厄を、日本の観光業が抱えている「毒」を解毒する機会と位置付けるべきだと訴えていた。

 神社やお寺の参道を埋め尽くすような人の波、それに対応するために、本来の襖絵を劣化から守るために、キラキラ輝く複製に替えたり、伝統ある錦市場にアイスクリーム屋やドラッグストアが増えたりするなど、文化的にはマイナスになるようなことも進んで来たと言う。

 幸か不幸か、春以来のコロナによる観光客の激減後の観光業の再発展に際しては、ただ観光客の人数を増やし、経済的な利益を追求するだけでなく、時間がかかっても、この際、伝統的な静かな街の価値を維持しながら、その中で市民生活と共存できる観光を確立するように努力すべきだと考える。

 コロナ対策として取り入れられた入場制限などの対策も、場合によっては続けるべきであろうし、環境の保持に出来ることは優先させ、観光客にも伝統的な真の姿を見せられるような工夫を考えるべきであろう。国に任せるのではなく、その地に住む人たちや、観光業者、行政機関が話し合って、どのような道を選ぶのか決めるべきであろう。

 それが長期的に見れば、京都の伝統を守り、市民生活をも維持しつつ、真の姿を診て貰うことで、永続的な観光が成り立ち京都の発展にもなるのではなかろうか。こよなく愛する京都だけに、静かな伝統のある優雅な街の姿をいつまでも続けて欲しいものである。