取り残されて行く

 父は94歳で亡くなった。父は早くから兄弟などに死に別れ、親族も殆ど残っていなかったところに、この歳になると友人、知人にも殆ど先に死に別れていたので、寂しい葬儀であった。その時思ったのは、人間には死に時というものがあるとのだなということであった。まだ周りに幾らかでも友人などが残っている間に死んで、「あいつもとうとう死によったか」と言われる間に、見送られて死ぬ方が良いのではなかろうかと。

 そう思ったのも、もう三十年も昔のことである。今や自分がその歳になってしまった。幸か不幸か、まだ元気である。しかし、周囲の昔からの友人、知人は次々と消えていってしまう。

 ごく最近も、クラス会の世話をしていた友人がなくなり、後をどうしたものかと他の友人から相談の電話があったのが一週間ぐらい前のことで、その友人から一昨日の夜にまた電話がかかってきたので、てっきりその続きの話かと思ったら、今度は共通の友人が亡くなったが、知っているかという知らせの電話であった。

 そしたら、昨夜はまた違う関係の友人の奥さんから電話があり、その友人が前立ガンで亡くなったという知らせであった。次々と死亡の知らせが続く。

 中学時代から仲の良かった友人たちも、80歳を過ぎて例年のクラス会が亡くなってからも、残っている十数人ぐらいが時々集まって、コーラスを聞いたり、一緒に食事をしたりしていたが、それも一人減り、二人減りして終わりを告げ、最後に残った二人も一人が一昨年亡くなり、一人は認知症で施設に入ってしまった。

 振り返ってみたら、どんどん死んでいってしまったものである。大学生の時、同じグループで一緒に行動することの多かった6名も、今では誰も残っていない。卒業して同じ教室に入った仲間も一人が認知症で残っているだけで、後は皆いつしかいなくなってしまった。学生の頃よく一緒に遊んだ友人たちも それぞれの生き方をした末に、皆いなくなってしまった。

 高校の時によく行動を共にしていた友人たちも、今はもう誰もいない。海軍兵学校で4ヶ月間、寝食を共にした仲間も、ずいぶん長く交流を続けていたが、もう今はすべて過去の人になってしまった。 仕事で一緒だったりした縁で、一緒に旅行したり、飲みに行ったりと、色々な交流のあった気の合った人たちも、同世代の人達に限ればもう誰も残っていない。思い出だけが時々顔を出す。

 年賀状だけの付き合いだけになって続いていたような人たちも、名簿による死亡の確認で抹消されて行く人が次第に増えていって、名簿が抹消線で埋まってしまったページさえ多くなってきている。抹消線の下から古い懐かしい名前がのぞいていたりする。

 また比較的近隣に住んでいる同世代の大学関係の仲間たちが丁度80歳の時に、8人ばかりで、毎年池田の料理屋で集まることにしたのだったが、別れ際に「元気だったらまた来年」と繰り返しているうちに、一人減り、二人減りして、そのうちに料理屋もなくなり、3人だけとなって解散したが、その後、残った2人も逝ってしまった。

 何だかんだで周りの皆に先に逝かれて、一人後に取り残されていく感じもする。85歳を過ぎると死ぬ人が多くなり、90を超えると残った人も順次消えていくことになる。人には寿命があるものだから仕方がない。ここまで生きれば良かったと思うべきであろう。

 もうそろそろ死んでも良いのではと言われているような気もする。