三密

 新型コロナのパンデミックを抑えるために、最近あちこちで「三密」を避けようというスローガンを見たり聞いたりするようになった。

 「三密」というのは すでにご承知の方も多かろうが、1.密閉、2.密集、3.密接の三つを合わせたもので、 1は 換気の悪い密閉空間で、 2は多くの人が密集しているような状態で、これらを避けよということである。そして、3は1、2を避けても、 人々が 互いに手を伸ばしたら届くような近距離で会話を交わしたり、咳やくしゃみをしたりすれば、当然飛沫が飛んで感染を起こし易くなり、それが一番問題なので、お互いの人と人の間の距離を常に少なくとも2米、6フィートは空けましょうということ(Social Distance を保つこと)である。

 1、2は「密閉」は「密集」と初めから「密」がついているから良いが、3の「密接」は本来は「すき間も無くピッタリとくっついている」とか「非常に関係が深い」と言う意味なので、Social Distanceでいう距離の取り方とは少し違うが、三つを纏めて「三密」とした方が分かり易いし、言い易いので、選ばれたのであろう。

 ところが、「三密」という言葉は、昔から密教で広く使われてきたものだそうである。無神論者の私は仏教にそんな言葉があることすら知らなかったが、ある人が教えてくれた。仏教、中でも真言宗をはじめとする密教仏教では、森羅万象の全ては大日如来の現れであり、生命現象は全て身(身体)、口(言葉)、意(心)という三つの働きで成り立っていると説く由。この三つの働きも大日如来の現れであるから、本質的のは人間も大日如来と同じ、ただ大日如来の働きは通常の人間の思考では計り知れないということから、密なるものという意味で「三密」と呼ばれるそうである。修業によって人は大日如来と一体化できるというものらしく、僧侶の修法では

身密(しんみつ)の修行では、仏さまを表す印を組み、
口密(くみつ)の修行では、一心に真言を唱え、
意密(いみつ)の修行では、観想(かんそう)といって、仏さまのこころの境地を観じる。

という「三密」のバランスが良く整い、合わさることで仏と一体になる体験を通し、悟りを得るのだと言われるのだそうである。

 勿論、このような修業は一般の人には難しく、一般の人は阿字観(あじかん)という、大日如来を表す梵字(ぼんじ)である「阿(ア)」という字を観ながら、瞑想する真言宗の修行があるのだそうでである。

 コロナ感染症に対しては、「三密」も当然守るべきであろうが、序でに、仏教の方の「三密」をも目指して、せめて大日如来にコロナ退散のお参りなり、瞑想でもしてはどうだろうか。

 追記:SNSで面白い三密を書いている人がいましたので付け加えておきます。

3つの密を避けましょう

1, 密室政治
2, 秘密の利権約束
3, 密約(アメリカとの)