徴兵検査

 現在、我が国には徴兵制度というものはない。しかし自衛隊があり、日米同盟があるので、やがて自衛隊が拡大された時には、再び徴兵制度が復活しないとは限らない。少子高齢化で兵役に適した若者が少ないので、自衛隊への応募者が必要数に満たないようになれば、お国のためにというプロパガンダとともに、徴兵制度復活が叫ばれるようになる恐れも大いにあるものと見ておくべきであろう。

 旧大日本帝国では、明治の初めから敗戦まで、すべての国民は満20歳になると徴兵検査を受けねばならず、その結果命令によって、一定期間兵役に服し、その後も一旦緩急があれば、応召の義務を負わされることになっていた。

 誰しも徴兵されて自分の仕事を中断され、しかも危険な目にあうのは嫌なので、何とかして逃れたいと思うのは人情であろう。そのため人々は色々な工夫をしたもののようである。今も覚えている色々な話がある。

 私が子供の頃、母方の親戚では、祖父母にあたる世代が、3人兄弟の筈なのに、3人とも苗字が違っているのが不思議でならなかったが、後から分かったことは、明治の初め徴兵制度が始まった頃に、戸主や家督相続人は兵役を免除されていたので、次男以下の息子を小作人などの家の名目上の家督相続人に仕立てて、兵役を逃れさせたために、それぞれ違った姓になったということであった。

 徴兵制度が始まったのは明治の初め頃であるが、当時はまだ家族制度が強く、家督の継続が重く見られていたので、徴兵制度でも戸主や長男は免除されることになっていたらしい。何とか徴兵を免れるために、子のない小作人などに頼んでそのようなことが行われてのであろう。家を継いでも、小作を継いだ訳ではなく、家だけ継いで実質はそれぞれに元の仕事を続けていたようである。

 いつだったか長女の家族と一緒の時にその話をしたら、長女の亭主がドイツ系のアメリカ人だが、ドイツでも同じようなことが行われていたそうで、所が変わっても、人間のすることは似たようなものだなと思ったものであった。

  また、徴兵検査を受けるにあったては、色々な工夫をした人がいた話もよく聞かされた。検査の前に大量の醤油を飲むと血圧が上がってとか、貧血とかで跳ねられるという噂が広く言われていたが、真偽の程は知らない。わざわざ怪我をして逃れようとした人さえいたようである。

 当時は結核が恐れられていたので、X線検査の時にそっと胸に銀紙を貼って、病気の影と思われて即刻帰郷とされたという話も聞いたことがある。たまたま風邪を引いていて、結核と間違われて徴兵を逃れた人もいた。

 また聴力検査ばかりは貴方任せの検査なので、聴こえてない振りをして検査を終えて不合格とされ、しめしめと思ったところで、そこにいる軍医がお前はそちらへ行けと口頭で行き先を指示するのでそちらへ行こうとしたら「貴様聞こえてるじゃないか」と嘘がバレて連れ戻されたという話も聞いた。軍医は困っている者を助けるためにではなく、嘘を見抜くために配置されていたのであった。

 いくら表では、天皇陛下のためとか、お国のためとか言っても、誰しも本心は出来れば避けたいのが兵役であったのには間違いない。伝手を頼っったり、お金で誤魔化そうとした人もいたし、理系の大学へ行ったり、医者になって、危険を避けようとした人も多かった。

 戦争末期には徴兵も厳しくなったが、軍医も不足したので、医学専門学校(医専)といって医師の短期養成コースが作られたので、私の中学校の同級生には何と医専に行った者の多かったことであろう。今は昔の徴兵検査であるが、二度と同じようなことにならないことを願うばかりである。