選挙独裁

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 「桜を見る会」やその「前夜祭」問題を、国会での追求に「知らぬ、存ぜぬ」「記録は捨てた」と何も答えず、逃げまわっていた政府は、国会を強引に打ち切って、これで逃げ果せたと思っているのであろうか。「時間とともに国民の理解が得られつつある」などという発言からも、モリカケ問題の経験から、今度も時が経てば忘れられて行くだろうと思っているのではなかろうか。

 しかし、今回はこれで終わりにしてしまってはならない。今回の出来事に政権がとった行動には公職選挙法政治資金規正法に反する疑いがあり、これらは民主主義の根本に関わることだからである。「桜を見る会」やその「前夜祭」に関する具体的な問題については新聞や他のメディアで嫌という程見聞きさせられたのでここでは触れまい。

 その下には、7年にも及ぶ長期政権の間に、政権の腐敗が進み、安倍首相のもとに権力が集中し過ぎて、政権中枢の恣意的な行動に歯止めがからなくなってきてしまっているのが現状であろう。安倍首相は党内での対抗馬を無くし、首相官邸府に権力を集中し、官僚の人事権を握って何かにつけて官僚に忖度させ、警察権を握って司法も抑え、三権分立を曖昧にさせて、都合の悪い情報や根拠は秘匿し、自分の好きなように政治を私物化していると言えよう。

 J.S.ミルによると、「競合する全勢力を抑え込み、全てを自分と同じ鋳型に流し込むのに成功してしまうと、その国の向上は終わり衰退が始まる」というが、今やこの国の政治体制も民主主義的議会制を維持しながらも、崩壊に向かいつつあるのではとも思えてくる。最近は「選挙独裁」という矛盾した言葉さえ見られるようになって来ている。

 これはたまたま安倍首相という特異な人物が出たきて作られて来たものではなく、もっと構造的なもので、この基本となっている構造にメスを入れなければ、この傾向はますますひどくなり、引き返しがつかなくなるのではないかと心配する。

 選挙制度小選挙区制になり、自民党内での派閥の力が弱くなり、総裁である首相の力が強くなったことや、死票が多くなり、得票率と当選率の格差が大きくなって、自民党に有利になったこと。官邸に権力が集中し、官僚の人事権が直接官邸に握られて、官僚の独立性が落ち、首相の意向を忖度せざるを得なくなったことなどが一つの原因であろう。

 更には、内閣法制局の人事まで首相が采配し、法務大臣を通じて司法にも影響力を及ぼし、自ら間違えて「立法府の長」と言わしめた如く、三権分立の民主主義の基本をないがしろにしているなど、制度的な欠陥がこの独裁化に関係しているのであろう。

 ここらで、安倍政権を倒し、このような構造を改めていかないと、今のままでは時が立つ程、変更が困難となり、議会制民主主義は形骸化して、実質的には独裁政治へと進んでいく行く危険性が高いのではないかと心配する。

 先日の朝日歌壇に次のような歌が載っていた。

  年の瀬や途方に暮れる民主主義 (長野県 梶田 卓)