おもてなしと恥

 去る11月20日の朝日新聞の経済気象台という欄に、この「おもてなしと恥」という一文が載っていた。筆者は米国内でも活躍している人のようだが、「おもてなし」について『一見、「おもてなし」とは相手に尽くすことのようだが、むしろその土台にあるのは、自分のせいで相手を不快にすることへの羞恥心ではなかろうか。「おもてなし」とは、他者の前で自己を律するという、実は究極のセルフコントロールの裏返しかもしれないのだ』と言っていた。

 そして、近頃はみづからを律する姿勢が欠如した恥知らずの若者が増えたことを嘆き、来年のオリンピックで「おもてなし」を売りにして外国人客を呼び込み、経済回復をはかろうとする戦略の妨げになるのではないかと危惧されていた。

   思わず、夏頃だったかに、韓国がオリンピックへの「旭日旗の持ち込み」を禁止するように求めたのに対し、対抗意識からか、日本政府は持ち込みを可とし、JOCも認めたというようなことがSNSなどに出ていたことがあり、私が反論したことを思い出した。

 客をもてなすための「おもてなし」の第一歩は、この筆者も言われる通り、「自分のせいで相手を不快にすることへの羞恥心」であり、まずは客が嫌がることを注意深く避けることから始まるものであろう。

 旭日旗を落ち込もうとする人たちは、旭日旗は国旗に準ずるもので、日本国内では色々な場合に使われているものであり、オリンピックや国際競技に使われてもなんら問題はないという。

 しかし、韓国のみならず、アジアの多くの人にとっては、旭日旗はかっての大日本帝国侵略戦争の象徴としての印象が強く、未だに反発する気持ちが強いので、反対する機運が強いのである。

 旭日旗は、かってはその侵略戦争の実働部隊であった軍隊の象徴として、海軍の軍艦旗や陸軍の連隊旗に広く使われていたものであり、戦時を経験した私にとっても、旭日旗は帝国陸海軍と強く結びついて思い出されるものである。ひどい目にあった側の人たちが旭日旗を日の丸以上に嫌う気持ちもよくわかる。

 そうしたことを踏まえて考えるならば、人類の調和や平和を掲げるオリンピックのための「おもてなし」に先ずすべきことは嫌がる客のいる旭日旗の持ち込みを禁止することではないだろうか。オリンピックを別にしても、嫌がる客のいるのに、敢えて旭日旗を掲げるようなことは、掲げる側の羞恥心の欠如とされても仕方がないであろう。

 オリンピックに必要不可欠でもない旭日旗をわざわざ持ち込んで、日本人の品位を落とし、その羞恥心を穢して「おもてなし」を台無しにするようなことは絶対避けて欲しいものである。