べーシック・インカム導入を考えては

 先日新聞で「ひきこもり」についてに論説が載っていた。その中に、自分を引きこもり名人という人の意見が載っていた。

 その人によると、「ひきこもり」は「現代の生存戦略」で、学校でも職場でも、過剰なまでに忍耐を強いるこの世の中では、命を守るために一定数の人がひきこもってしまうのは当然ではないかと言い、「ひきこもり」は厳しく無駄の多い労働環境に対する「人間ストライキ」とも言えるのではないかという。

 今、官民でひきこもり対策として就労支援が盛んだが、「市場価値のある値段のつく人間になるなら支援します」という条件付きである。ひきこもって自分を「働ける人間に直さなければ」と思いながらもままならず、もう「死ぬしかない」と思っている人に「訓練して稼げるようになれ」というのはあまりにも飛躍しすぎではないか。

 むしろ、先ずは最低限の生活保障をするから安心して引きこもっておれる社会を作ることが先であろう。そうすれば、自然と自分にあった何かをして社会の貢献しようということになるのではなかろうか。

 効率優先で、ゆとりの失われた社会が引きこもりを生んでいるのであり、これまで気がつかなかったが、なるほど最低限所得保障(ベーシック・インカム)のような制度があれば、心身ともにゆとりが生じ、ひきこもりの予防にもなるし、たとえ、「ひきこもり」になったとしても、新たな可能性の開発にも繋がり易いのではなかろうか。

 世界的に見ればベーシック・インカムの実験を既に行なっている国もあり、失業保険や生活保護法、失業保険、老齢年金など多岐にわたり複雑になった行政の簡素化にも繋がるし、今後のAIの発達による行政の省力化、効率化が進めば、十分実現可能な施策となりうるのではないかと思われる。

 ベーシック・インカムの検討は日本ではまだ進んでいないが、これが制度化すれば、社会のゆとりが出来て、慢性疾患や、精神障害その他を生じた時にも安心して休めるだけでなく、かえって個々人が自分の好きなことに挑戦しやすくなり、世の中の発展にも寄与することになるのではなかろうか。

  隣国とトラブルを起こしたり、軍備を増強し多額の兵器を購入したりするより、社会保障としてベーシック・インカムなどを考える方がずっと政府が優先すべき課題ではなかろうか。