朝日新聞の社説の余滴のような欄に、昆虫食の話が載っていた。長野県の伊那市で「大昆虫食博」が開かれたそうで、それの関連して、記者がタイやカンボジアで食べた蝉の幼虫やコオロギの思い出が語られていたが、それを見て思わず、戦後の何も食べるもののなかった飢餓の時代に食べたイナゴなどのことを思い出した。
当時は結構美味しいご馳走だった。昆虫の中でも一番多かったのは、田圃や畑で採ってきたイナゴだった。今と違って、どこの田圃にもイナゴが沢山いたので、手に入りやすかったからであろう。もちろん、同類のコオロギやバッタも食べた。
それを鉄板や鍋で焼いたり、炒めたりして、食べたものであった。自分で捕まえてきたものを食べるのだから、それほど多くを食べられる訳ではないので、主食というわけではなかったが、いつも腹をすかしていたので、余計に美味しく感じられたのであろうか。今でもプチんと噛み切れたイナゴの食感が思い出される。
確か、一度蜂の巣を取ってきて、蜂の幼虫を炒めて食べた記憶がある。柔らかく甘みがあり最高のご馳走だった。蝉の幼虫なるものも唐揚げか何かで食べさせてもらったような気もする。しかし、考えてみるともう70年以上も前のことである。
新聞によると、最近は国連の食料農業機関(FAO)でも食糧難に備える選択肢として、昆虫食の可能性について報告しているそうである。高タンパクで、ビタミン、ミネラルも豊富で、養殖も簡単なので有望だそうである。
勿論加工してから供給することになるのであろうが、肉や魚などの現在の食事があって、それの加えて昆虫食もあるというのなら良いが、全面的に昆虫食に頼らねばならないようにはなって欲しくない。
どうしても原型を想像してしまうので、気味悪く思う人もいるであろう。新聞社の試食でも積極的に食べてみる人と見向きもしない人がいたようである。昆虫食に頼らざるを得なくなるとしても、食べず嫌いの克服には時間がかかるような気がする。