横綱稀勢の里がとうとう引退した。横綱になってから一度優勝したが、その時の怪我が元で負けと休場が続き、引退に追いやられてしまった。
本人はもっと相撲を続けたかったのであろうが、横綱の品位を維持するにはやむを得ないことであったのであろう。
私は、もともと横綱にしたのが間違いだったと思ってきた。長い間大関だったが、優勝を期待されながらも、肝心な時にいつも勝てずに歯がゆい思いをさせて、昇進の機会を何度か逃した来た力士である。
ところが、相撲界の要望として、最近の相撲界では、上位力士が殆どモンゴール勢に占められる状態が続くので、何とかして日本の力士の横綱を実現したいという思惑が強くなって来ていた。
そうした時に、稀勢の里がたまたま優勝したので、この機会こそ生かさなくてはと思って、無理に稀勢の里を横綱にしてしまった嫌いがある。
それまでの過去の成績を見てみても、もう少し様子をみてから判断するのが順当であったのではなかろうか。
私は無理に横綱にしても、決して将来うまくいくはずがない、本人を苦しめることになるだけだから、まだ絶対横綱にするべきではないと思っていた。
テレビで出て来た稀勢の里のお父さんも、もう少し様子を見てからの方が良かったのではないかと、喜びとともに不安を隠しきれない姿で写っていた。
案の定、本人は真面目な努力家だったのだが、その甲斐もなく、無理をした怪我も災いして、横綱としての成績を上げることなく、無念の引退に追い込まれてしまったのであった。
大関のままであったら、もっと気楽であったであろうし、同年輩の好敵手であった琴奨菊を見てもわかるが、今でも関取を続けてられたのではなかったのではなかろうかと思われる。相撲世界の中で弄ばれて、命を縮めてしまったようにも思われる。
相撲というのは特殊な世界で、以前から何かあると問題にされてきたことであるが、伝統的な神事の絡んだ大衆芸能の形で受け継がれてきたものであり、近年は競技スポーツの色合いが濃くなった複雑な世界なのである。
その複雑さから時代の変遷にうまく対応出来ずに、右往左往しているところに根本的な問題があるような気がする。柔道などはうまくスポーツとして国際化に成功したが、相撲は伝統的な神事などを含んでいる故にスポーツとして割り切れず、そうかと言って神事などの伝統を重視し過ぎると時代に取り残される。
事実近年になると、古いしきたりなどが若い人たちに敬遠されるようになり、相撲の人気が落ち、力士希望者の減少が続くようになってきた。
それを乗り切る手段として、相撲の国際化が試みられ、初めはハワイ勢の導入が図られたが、体格の違いもあり、たちまちハワイ勢が上位陣を独占するようになると、そこでストップがかかることとなった。
ところが日本の力士だけでは層が薄くなり、人気を維持するのが難しく、今度はモンゴール勢の力を借りねばならなくなった。ハワイ勢と異なり同じ東洋人で、外見も体格も日本人に似ているのが好まれたのであろう。
それで初めのうちは順調で、人数も増え、彼らの日本相撲界への順応もよく、次第に日本人と同様に遇されるようになってきた。しかし、彼ら人数が増え、力も強くなり、日本勢が押され気味で、再び上位陣を彼らが独占するようになってくると、伝統のある相撲はやはり日本人でなければという暗黙の声が強くなってきたのであろう。
そのうちに千代の富士や貴乃花などがいなくなり、上位陣が殆どモンゴールを初めとする外国勢となると、伝統的な神事が絡むこともあってか、何とか日本人の横綱を期待する声が大きなって来たのであろう。
そういうところに、大関稀勢の里の優勝がやってきた。相撲協会やファンは今度こそは19年振りかの日本人横綱の出現だとばかりに、無理にでも稀勢の里を横綱にしてしまった。
ところがこれにはおまけがあり、4年前に旭天鵬が平幕優勝を達成しており、彼がその時すでに帰化して日本人になっていたことがわかり、日本人力士と言えずに、”日本出身力士”と無理な呼称を使わざるを得なくなったのは皮肉であった。
そこまでして伝統的神事や、民族性に拘らねばならないのは、単に相撲界の伝統の問題だけではなくて、現在の日本社会全体の閉塞性、閉鎖性を顕にしたものでなければ良いがと思うがどうであろうか。
私は 伝統的な神事との結びつきは形式のみに留めて、競技スポーツに徹することが今後の相撲の発展の道であろうと考えている。