昨年12月にアメリカに住んでいる娘や孫たちが帰って来て、久し振りに家族全員が揃ったので、篠山の古い民家を改造したホテルに泊まって、古い日本の街を見学したりして楽しんだ。
ただ、以前とは違って、孫たちが皆もう大人になってしまって、それぞれの予定もあって、家族全員集合も1日のみとなり、すぐにばらばらに散ってしまった。
それでも、今回は下の娘だけが年を越していてくれたので、例年とは違った正月を楽しむことが出来たが、その娘も昨日、伊丹から成田経由で帰国した。
娘は固辞したが、親たちが暇なので、伊丹空港まで見送りに行った。もう他のメンバーとはアメリカからの連絡もあるし、娘も気楽な一人旅なので、何時ものように何の心配もなく空港のカウンターまで行った。
ところがそこで思わぬハプニングが起こったのだった。カウンターに預ける荷物も既に置いて、搭乗手続きをしようと思ったら、まさか、娘のパスポートがない。手持ちのバッグにも、預けかけたキャリヤバッグにも入っていない。
パスポートがなければどうにもならない。私は知らなかったが、娘が母親に託したい大事な書類を家で渡したことを思い出し、どうもその中に一緒に入れてしまったのではなかろうかということである。
飛行機の出発時刻は14時10分。一時間余りしかない。その便に乗らないと、成田での国際便に間に合わないので、帰れなくなってしまう。キャンセルすると、出直してまた切符を一から買い直さなければならないことになる。
それでも、時間はないし、もうどうにもならない、殆ど諦めかけたが、家にあるとすれば、タクシーで取りに帰れば、うまくいけば、間に合うかも知れない。出発20分前までに帰って来れればOKと空港の人が言うので、私が荷物の番をしていて、その間に、タクシーで取りに帰ることを試みることにした。
空港で荷物の番をしながら待っている間も気が気でない。 40分しかないのである。タクシーがすぐ捕まえられるか、捕まっても道路が混んでいないか、家でパスポートがすぐ見つかるか、時計とにらめっこしながら、どうだろう、いけるかな、無理かななどと、気を揉みながら待っていた。
30分が過ぎる頃まではまだだろうと思っていたが、それが過ぎるともう立っても座ってもおれない。大丈夫かな、空港近くまで戻って来ていても、道路が混んでいたりすれば時間がかかるし、と言ってどうすることも出来ない。
すると35分も過ぎた頃であろうか、息急き切って戻って来た。早速、国際線乗り継ぎカウンターへ行って、ようやく間に合った。手続きを済ませて、搭乗口に向かうと、係員が成田行きの札を掲げて声高に最終チェックを告げているところであった、
やれやれ、何とか間に合った。ここさえ過ぎれば後は問題ない。本当にラッキーだった。一時は殆ど諦めていたが、何とかうまく行った。こんな嬉しいことはない。娘の強運に驚くとともに、こちらもやれやれと胸を撫で下ろした。
伊丹空港というローカル空港に感謝しなければならない。ハブ空港のような所なら、人が多く多忙なので、時間的余裕も少なくなるし、タクシー一つでも捕まえ難くなる。道路も混むだろうし、空港ターミナルへの乗り入れの距離も長くなるので時間もかかるし、カウンターにも長い列が出来て、事はスムースんは進まない。
そこへ来ると伊丹空港から自宅までは近いし、空港も小さいのでアクセスも良い、混み合っていないので、手続きや問い合わせなどにも時間がかからない。正月過ぎて一段落ついた頃の、昼を過ぎた比較的空いた時間ということもあったのであろう。
理由はともあれ、本当にラッキーであった。あまりラッキー過ぎたので、後が返って大丈夫かなと心配にもなったが、兎に角、何とか無事にアメリカまで帰ったようである。運がついていたとしか言いようがない。やれやれであった。
ところが、この娘に関しては、パスポートにまつわるラッキーな話がもうひとつあるのである。
もう40年ぐらいも前のことである。上の娘がメキシコシティに留学している機会に、親子3人で訪れたことがあった。その時のことである。
当時は下の娘はまだ高校生だった。メキシコは今より治安も悪かった時代である。パスポートをなくしては困るので、娘に白い布の胴巻き型物入れを渡してそこへ入れて携帯するように言っていた。
ところがホテルの泊まって、翌朝、ゆっくりしてから、いざ出掛けようとした時、娘のパスポートがないのに気が付いた。どうも寝る時外したパスポートの入った胴巻きをベッドの上に置いていて、身につけるのを忘れていたようである。
気が付いた時には、もうホテルの部屋には掃除が入って、片付けた後だった。どうも白いケースだったので、リネンに紛れて、もう洗濯に出されてしまっていたようである。
万事休す。言葉は通じないし、簡単なことではないので、うまく早く手を打って、探して貰えるか心配であった。時間が経って、洗濯機に放り込まれてしまっては取り返しがつかない。
困っていたところ、この時は丁度、上の娘がメキシコのボーイフレンドと一緒に来てくれたので、その友人に助けて貰って、ホテルの洗濯場まで行き、危ういところで、リネンの間からパスポートの入った胴巻きを発見して貰って助かったのであった。
この時も、パスポートが紛失すれば、現地の日本大使館と連絡を取って、再発行なり何なりの続きをしなければならないことになるので、旅行のスケジュールはすっかり狂い、素直には帰国出来なくなるところであった。
今では遠い昔の旅の思い出の一つでしかなくなっていたが、今回のパスポート事件で、久しぶりに、はっきりと当時のことが蘇ってきたのであった。その時も、もうすんでのところで、洗濯機にかけられて返って来ないところであった。
今回も、これが関空だったり、伊丹でも空港や周辺が混んでいたり、月日が違っていたりすれば、必ずしも今回のようにうまくは行かなかったのではなかろうか。
下の娘のオッチョコチョイ振りと、その強運に驚くばかりであった。「二度あることは三度ある」と言うから、今後もしまた同じようなことがあっても、また、うまく行くのかも知れないが、「三の上の目」とか「三度目の正直」とかも言う。逆の意味だが、一度、二度は何とか行けても、三番目はもうどうにもならないとも言える。
いくら運が良いと言っても、もうこんな事は御免被りたい。健康に良くない。こんなことにだけはならないように。今後は予め、あくまで慎重に、注意深く行動して貰いたいものである。