下士官根性

 昔、まだ帝國陸海軍があった頃は、世間でも「下士官根性」という言葉がよく使われていたが、戦争を知らない現在の若い人達には馴染みの薄い言葉かも知れない。

  軍隊では階級の違いは絶対的で、例えば、交通機関の利用でも、将校は二等車で移動出来たが、兵隊は三等車にしか乗れなかった。食堂なども、将校と兵隊は別で、捕虜になってさえも、将校と兵隊では待遇が違ったものであった。いくら優秀であったり、華々しい戦果をあげても、下士官は准尉が最高の位で、それより上には上がれなかった。

 同じ将校でも、海軍兵学校陸軍士官学校を卒業し、海軍大学。陸軍大学を出たエリートでなければ将官にはなれず、普通の将校は大佐どまり、稀に功績の顕著な者が少将にして貰えるぐらいであった。軍隊では階級制度が絶対的なもので、役職もそれにより決まり、部下は上官の命令は天皇の命令とされて、絶対服従しなければならなかった。

 こういう絶対的な上下関係は、将校と兵隊の間が一番はっきりしていたが、兵隊の中にも階級があり、曹長から軍曹、伍長という下士官があり、その下に兵長上等兵二等兵、新兵という序列がはっきりしており、それが全て上官の命令には絶対服従であったから大変であった。

 将校の命令があれば、それを下士官が受け、それを兵隊へ流すという仕組みになっているので、上に対する不満のはけ口は当然下へ行くことになる。将校が下士官に怒れば、下士官は古参の兵隊に怒る、古参の兵隊は新兵に怒る、新兵はもう怒る先がないから犬にあたるなどと言われたものである。

 絶対服従の世界では当然、上官が威張り、日常生活や勤務上での矛盾は上官の権威で押し潰されるか、あるいは部下が少しでも良い目に会おうとして上官にゴマをするかになる。従って、中間にいる下士官は将校には媚を売って印象を良くしようとし、その反動を下へ向けることになる。上からの圧力が強ければ強いほど、その反動で下に強く出ることになる。

 こうした関係を半ば揶揄して、一般に下士官のようだ、「下士官根性」という言葉が囁かれるようになっていたのである。戦後、軍隊がなくなったこともあって、この言葉は昔ほどには流行らないが、軍隊以外でも強いものにはへいこらして、弱いものには居丈高に振る舞うようなことはしばしば見られるので、軍隊以外でも、そういった場合にはこの「下士官根性」という言葉がぴったりする。

 最近の日本の安倍政府の外交姿勢を見ていると、全く情けない。アメリカに対しては必要以上に腰が低く、へいこらして見ていても恥ずかしいぐらいである。

 沖縄問題一つを見ても、あれほど沖縄の人たちが一致して選挙でも反対しているのに、それを無視して、アメリカとの約束だとして基地建設を進めているし、トランプ大統領に褒めて貰うぐらいに、無駄な武器を大量に買ってご機嫌を損なわないようにしている。

 また、今日の新聞によると、米軍に言われて、米空軍の訓練に使う日本の島を大判振舞いをしてまで買い上げて、提供することにしたようである。挙げればきりがない。国民の利益より米軍に取り入ることの方が優先しているのは明らかである。

 ところが一方、相手が近隣国である韓国や発展途上国などとなれば、その反動かと思われるぐらい、途端に上から目線で、時には居丈高に相手を非難する態度に出る。韓国との慰安婦問題、徴用工問題、韓国海軍とのレーダー照射事件などの経緯を見ても、日本政府の態度はあまりにむ高圧的である。

 レーダー照射事件では、元自衛隊の最高部署にあった田母神氏までがよくあることで問題ではないと言っているのに、大げさに外交問題として取り上げてしまい、日韓関係を自ら壊すようなことをしている。

 こういう韓国に対する対応の仕方を対米関係と比べてみると、誰が見ても歪でいる。まさに「下士官根性」という言葉がぴったり当てはまるのではなかろうか。たとえアメリカに対しては、従属関係で強く言えないにしても、その分を弱い近隣で関係の深い韓国を相手に、埋め合わせようというのは文明国のとる態度ではなかろう。

 アメリカがいかに大事だとしても、韓国はすぐ隣の近隣国なのである。長い将来の先を考えれば、過去に多大な迷惑をかけた隣国に対してこそ、関係を修復して、日頃から良い関係をつくっておくべきではなかろうか。それが平和を維持する基本だと思うがどうだろうか。