大阪万博

 2025年の大阪万博が決まった。お祭り自体は嫌いでないので、喜ばしい感じも多少あるが、1970年の万博の時のように希望に満ちた未来が輝くといった感じにはならない。万博の時までにあの頃の心が踊るような高揚感が戻ってくるであろうか、甚だ疑問である。

 こちらが歳をとって、果たしてその時まで生きているかどうかも分からないし、今のところ、また会場を駆け巡りたいような気持ちも起こらない。今日では国としても、大阪としても、万博を契機として目覚しい発展が期待されるといった展望も描きにくい。

 人口は減り、高齢化が進み、経済も大きな発展が望める状態ではない。大阪の産業の現状も地盤沈下でパッとしない。会場と万博を契機としてもう一度発展を!というところなのであろうが、現実は長年放置状態になってきた夢洲をIRとされる賭博場と万博を込みで何とかして経済発展に繋げないかという期待に過ぎないような気がする。

 アメリカの賭博企業5社が既に万博関連の団体に加わっているようだが、万博のインフラ建設と賭博場のインフラ建設をかねて行おうという肚らしい。政府は2020年のオリンピック後の経済活性化のシンボルにしたいようだが、現在の経済状況の中で果たして高度成長時代の64年のオリンピックに続く70年の万博の再現のようにうまくは行くまい。

 今度は千里の太陽の塔のようなシンボルとなるものは作らないようだし、テーマも再三変更されて今ひとつ魅力に欠ける。大阪の経済状況にも70年頃の勢いはない。今回の万博は万博がうまくいけば儲けもの、むしろその後の博打のリゾートが本命のような気さえする。

 ところが、ラスベガスにしてもマカオシンガポールにしても、賭博商売は世界の大金持ち達よって成り立って来たが、あちこちに出來すぎて競争も激しくなり、その勢いも今はもう峠を越えて、賭博だけでは成り立たず、コンベンションや娯楽にも力を入れて行かねばならないとか言われ、ひと頃のような繁栄は望めないとされているようでもある。

 そうなると、あらかじめ皆が心配するように、庶民の賭博中毒者が増えることとなり、それに起因する借金、生活の乱れ、犯罪、治安の悪化などといった社会的にマイナスの面が強くなる恐れも大きくなることも予想され、政府や大阪府市の思惑がそのまま通るか心配になる。

  万博はもう決まった以上は、成功させてやりたいが、無理を強行して、経済的にも社会的にも負の財産として残らないように願うばかりである。