老いの余禄

 卒寿も過ぎると、出来ることも少なくなってくるのはやむを得ないが、これだけ歳を取ったら、それなりの楽しみも増えるものである。

 例えば、何かの話で、名も知られていないような片隅の町のことが出て、相手が私がそんな場末の場所について知っていることに驚いて、「どうしてそんな所まで詳しいの」と言われたりすることが時にある。

 若い人たちにとっては未知の所でも、長い間生きていると、いつかの時点で、そんな所とも何らかの関係があったことがあったりして、そんな一つひとつがが記憶の底に溜っているので、平素はすっかり忘れてしまっていても、何かの刺激で蘇って来るわけである。

 ある時点で、そこらに友人がいたとか、何かの必要があってそこへ行ったことがあるとか、偶然そこに関連した出来事を知っていたとか、理由は百様で、楽しい思い出もあるし、苦い思い出もあるが、自然に収集されて多くの記憶が溜まってきたせいである。

 この間もバス旅行で東名道路を走っていたが、名古屋港の高い橋の上から名古屋駅前の高層ビル群などを眺めていると、自然に戦後まもなく、学生時代に過ごしていた頃の名古屋から、これまでの幾度とも知れない機会に遭遇した名古屋の光景が次々と脳裏に現れてきた。

 戦後まだ間もない頃には、駅前にはまだ木造のアロハアーケードが並んでいたことや、その後に出来たトヨタビルに「雀踊りのういろう」を買いに行ったこと、名鉄ホテルに泊まって熱田の伯父さんに電話したのが最後の会話となったこと、笹島から曲がって伏見町を通り広小路までよく歩いたこと、広小路筋の丸善で発売されるのを待って岩波文庫の富国論を買ったこと等など、取り留めもなく順不同に昔の光景が繰り出してきた。

 そうこうしているうちに、名古屋を過ぎてもう少し行ったあたりで、道路標識に「美合」という町の名前が出てきた。高速道路の出口があるのかどうか知らないが、特段何も変わったことがある町でもなく、恐らく殆どの人は一瞬で見過ごしてしまう標識に過ぎないが、私はチラとその名を見た途端、すっかり記憶の奥底に沈んでしまっていた遠い昔の話が、突然電気にでも触れたように飛び出してきた。

 上に書いたように、戦後名古屋に下宿していた時に、そこのおばさんに3〜4歳ぐらいの可愛い女の子がいて、その子が時に「見合いに行くの」というので、当時は結婚と言えばまだ殆どが見合い結婚だった時代だったので、どこかで見合いという言葉を覚えて、面白がってわざわざ話しているのだとばかり思っていたら、そのおばさんの里が「美合」だということが分かったという話を何十年ぶりかで思い出したのであった。

 歳をとると良くても悪くても、長年の記憶の蓄積が溜まるので、良いことばかりではないが、何かを切っ掛けに、すっかり忘れていた過去の記憶が突如として蘇り、他の人にとっては何の意味のないことだが、密かに楽しい思い出にひとり微笑んだり、嫌な思い出に顔をしかめることになるのである。これも老いの余禄であろうか。