「セクハラ」の分からない人たち

 財務省の次官が朝日テレビの女性記者に対して、セクハラ行為をしていたのが暴露され、辞任に追い込まれ、財務省は先に辞任した国税庁長官とトップの二名が欠員という異常事態に陥いり、政局はますます混迷の度を深めている。

 財務次官は今でも事実を認めていないが、音声録音の記録まであれば否定することは出来ない。被害者の立場を考えれば、本人がいかに全体を見てくれればセクハラでないことがわかるといっても、財務次官という立場と取材をさせてもらう女性記者という力関係を見れば、軽い気持ちで行ったのだとしても、それがセクハラだということを理解していないことを証明しているだけのことである。

 恐らく次官は日本の社会では昔からよく見かけるように、軽い気持ちで女性記者に応対していたのであろうが、自分の社会的な地位の理解と男女同権の時代の変化にもっと敏感であるべきであったのではなかろうか。麻生大臣が「次官ははめられたのだという人も何人もいる」と言っていたが、言うならば、はめられたのではなく自ら無知の罠にはまったのである。

 この事件の周囲の人たちの擁護論を見ていると、この国の男たちにはまだまだセクハラということが理解されていないことがわかる。麻生財務大臣が被害者に名乗り出ろと言ったり、次官にも人権があると言ったり、「それじゃ男の記者にしては」と言った発言が出たりするのを聞くと、まだまだ多くの男性政治家たちがこれまで自分がやってきた行動がセクハラだと言うことや、男女同権の意味がわかっていないことが明らかになったとも言えそうである。

 そこへ無知の上塗りをするように、自民党の代議士が、非難する野党の女性議員たちの名を挙げて、この人たちにはセクハラは関係ないと言ったり、下村元文部大臣が被害者が「次官の音声を録音したこと自体が犯罪行為だ」と言って被害者を加害者に仕立てて、後で取り消すなどということさえ起こっている。

 人口減少の対策として政府が女性活躍の時代だと大々的に打ち出しているが、それは女性をもっと働かせようとするためだけで、男社会の実態を変えようとする意欲は薄く、政府自体にもセクハラとか男女同権という意味がわかっておらず、実際に男女同権社会を作ろうとしているのかどうか疑わしいことを証明したような結果になっている。

 先に安倍首相に近い山口という記者のレイプ告発による逮捕を急に取り止めた検察に対して、実名を明かして戦った伊藤詩織さんに対して、アメリカでの#MeToo運動の高揚にも関わらず、日本では世論のバックアップも盛り上がらないばかりか、それに対する非難や中傷さえあったことも、この国の遅れた現状を示している。

 少しづつ変わっては来ているが、この国ではまだまだ男女同権の意識が未発達のままで、例えば女性専用車男性差別だという人までいることでもわかるように、人々の多様性やそれへの対応、平等や公正、公平への心からの理解が定着していないことが背景にある。

 職場における男女の賃金差別はなお続き、昇格が遅れたり、職種の差別その他色々な実質的な差別が残っているなど、今だに社会的な男女差が人々の心の中に陋として根を張っており、その根っこの上にセクハラ問題も起こるのである。

 今度の財務次官のセクハラ事件をうやむやにせず、日本でも#Me Too運動を盛り上げて厳しく対処し、あらゆるばらつきを持った人々全ての人権を同じように尊重する社会にしていく契機にして行くべきであろう。国家の中枢ともいうべき財務省の事務方の長の行動としてあまりにも情けないと感じざるを得ない。

 面白い漫画を見つけたので無断でここに添えておく。

 

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