てふてふ

 私の子供の頃は「ちょうちょう(蝶々)」のことを教科書でも「てふてふ」と書かれていた。それが戦後の国語改革で、難しい漢字が制限されるとともに、ひらがなの書き方も発音と一致させるということで、書き方が一部変えられて今のよう「ちょうちょう」になった。

 広く使われる言葉などは、どこかで一応の規則が出来てそれが広く流通するようになれば、それはそれで悪くはないであろうが、言葉というものはイメージを伴うものだから、変化の前後を知る者にとっては、表現と以前からのイメージの間の微妙な齟齬を感じ、何かしっくりしない感じがすることがあるものである。

 動詞などで「でせう」「ませう」と表現していたのが「でしょう」「ましょう」となったのなどは発音により忠実に書かれるようになったので良かったと思うが、広く使われてきた名詞などとなると、長年慣れてきた表現とイメージが引き剥がされるので、時間が経ってもなかなか馴染みにくいことにもなりかねない。

 中でも、蝶々など変化が激しいこともあるのか、発音と違っても「ちょうちょう」ではなくて「てふてふ」でないと、未だに何かしっくりいかないものを感じるのは私だけであろうか。

「てふてふ」であるからこそ、白や黄色の小さな蝶々がひらひらと緑を背景にあちこち可憐に軽やかに飛び交う感じが自然に目に浮かぶのだが、「ちょうちょう」では少し粘稠で重い感じが付きまとって蝶々の飛ぶ軽やかさとは少し違ってくる気がしてならない。

 当然人によって、またその人の経験によって同じ言葉や文字でも受ける印象が違ってくるのであろうが、私にとっては子供の時に得た蝶々のイメージと「てふてふ」言葉のイメージが強く脳裏で結びついてしまっているのであろうか。やはり蝶々は「ちょうちょう」より「てふてふ」が相応しい気がしてならない。