裁量労働制

 最近新聞を賑わして有名になった裁量労働制のことである。国会で安倍総理が答弁した事実が全くデタラメな統計を根拠にしたものであったことが明らかになって、法案を出し直すことになったようであるが、それについて経団連はじめ経営者団体が口を揃えて残念だと言っていることから見ても、この裁量労働制なるものは明らかに「働き方改革」ではなく経営者の労働者に対する「働かせ方改革」である。

 産業構造の変化によって働き方が変わってきたことが背景にあるが、おそらく日本の働き方の効率が欧米に比べて悪いという統計的事実や、社会的に過労死や長時間労働が問題になっていることなどが関係しているのであろう。経営者たちは時間でなく成果で報酬を払うほうが時間外手当の報酬も不要となり、得だと判断したのであろう。

 政府は裁量労働制を延期したものの、いわゆる「高プロ」と言われる高度プロフェッショナル労働者を対象とした裁量労働制だけはなんとか法制化しようとしている。一旦「高プロ」という一部にしか適応されない法案でも作っておけば、後でそれを突破口にして適応を拡大していくのは容易であるからであろう。

 私は時々長時間労働で問題になった人の面接を行っているが、先日来られた40歳の営業マンの方は時間外労働が100時間を超えていたが、その人の場合、平日はいつも夜の十時か十一時ごろまで仕事をし、帰って夕飯を食べ、風呂へ入って一時頃に就寝、朝は定時の九時には出勤しているというから、毎日5〜6時間ぐらいしか寝ていないことになる。

 太った人だったが、昼食後は夜遅くまで働いて空腹のままで帰宅し、夜遅くにどっさり食べてすぐに寝るような生活を続けており、これでは肥満になるのは当然だと思われた。その上、付き合いの飲酒もあるし、運動する時間も場所もないようであった。

 週末は会社は休みだが、休みに関係なくいろいろな打ち合わせや問い合わせのメールや電話が入ってきたりして仕事から抜けられないので、子供と遊ぶのが一番の楽しみなのだが、それもなかなかままならないとこぼしていた。精神的に仕事から抜けてリラックスする時間がないのが一番良くないと思われた。

 同じ営業マンでも、昔は多くの人がどこかの喫茶店などに秘密の隠れ家を持っていることが多かった。そこにさえ逃げておれば、どこからの連絡もなく、一人でリラックス出来たものだったが、スマホなどが発達した今では、何処にいても何時でも捕まえられることとなり、休まる暇がなくなってしまったことが営業マンを余計に追い詰め、ゆとりを奪ってしまったようである。ある時、公衆トイレで使用中にベルがなって慌ててスマホで対応している若い男を見たこともあった。

 医者でもそうだが、営業マンなどは工場の労働者や決まった仕事の事務員などのように決まった仕事を決まった時間に続けてするというわけにいかない職種では、時間を自由に使える働き方が良いのだが、それにはあくまで本人が自分の働く時間を自由に裁量出来る場合に限られることである。

 ところが一般に被雇用者にそれを求めるのは無理である。雇用者の要求に応えなければならないのは当然で、雇用者は被雇用者に最大限の力を発揮してもらいたいと思うのも当然である。力関係を考えれば、労働時間は最大限24時間ということにもなりかねない。

 しかし被雇用者も人として生活を維持出来なければ労働力の再生産も出来ない。それを考えれば被雇用者にとって裁量労働が成り立つ条件はその人の必須生活時間を差し引いた残りの時間を明確にして、それを上限とした時間内での裁量に限られる場合だけということになろう。

 労働者にとっては最悪の場合でも、仕事を終えてから次の日の仕事が始まるまでの時間間隔をヨーロッパの国々で決めているように少なくとも11時間以上は取るというような制限が厳格に守られることが前提となければならないであろう。

 私の会った上記の営業マンにこのまま裁量労働制が適用されたら、仕事は現在の長時間勤務のままで給料だけが減ることは見え見えである。そうだからといって給料のために今以上に働けば、過労死になるのは必然といっても良いことになろう。

 最近問題になった野村不動産が誤った裁量労働制を取り入れて、社員の長時間労働による「うつ」からの自殺で、労災が適応されたというニュースを見ても、確実に休養時間を挟まない営業マンなどの裁量労働は、雇用者側の時間外手当の支給金額を減らすだけで、被雇用者のより過酷な労働時間と、その結果の「うつ」や過労死を増やす結果になるであろうことは、この件をはじめ、これまでの歴史を見てもほぼ確実であろう。

 裁量労働制はよほど慎重に、罰則付きにでもして確実に十分な休息の時間を確保した上で採用するのでなければ、被雇用者に残業代さえ払われない長時間労働を強い、うつや過労死を増やすことは確実であろう。